行事全般

行事全般 (5)

日, 10 8月 2014 01:16

家財道具を贈る茶会(茶会当日)

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さて、トラックと車で移動し、ヨルカの旦那さんの実家にやってきました。
部屋に入ると、机の上に食べ物がばっちりセッティングされています。
 
 
開始時間は12時の予定でしたが、予定時間をすぎてもほとんど人は集まらず・・・・
しまいには電話で親戚たちを呼び出ししてました。気合い入ってるんだか入ってないんだか・・・
人が集まるのを待っている間、なんとなく口元が寂しく、目の前にあったたくさんのお菓子やパスタをパクパクとほおばってました。(←あとで、これがまずかったと後悔する。)
 
しばし歓談の時間が続きます。
人が集まってきたころ、クグルシン家からもってきた大きな袋たちが開かれ始めました。
 
 
ヨルカの旦那さんの親戚に渡す贈り物たちです。
それぞれの中には、新しい洋服やお菓子、布などの素材など、合計50000-60000tg程度(現在のレートで約3500円ほど)のものが入ってます。これに加えて、絨毯が贈られることになってます(絨毯については、前回のblog準備編を参照)。

贈り物が渡し終えられると、今度はいよいよヨルカ夫婦に贈られる贈り物がお披露目されます。
別室で贈り物が広げられます。
 
 
贈り物は、ベッド、ベッドマット、ベッドカバー、壁掛け(刺繍布)、ベッドの上の部分の飾り、ベッドの足部分の飾り、ベッドカーテン、枕、枕カバー、食器、鍋など。
本当は新しい家に必要なものすべてを贈るので、さらに棚なども用意されるのですが、ヨルカたちがそれを希望しなかったので今回はこれだけ。
 
壁に刺繍布をはって、ベッドの周りを整えて完成です。
 
 
 
 
壁に貼られた刺繍布は、ヨルカのお母さん(クグルシンさんの奥さん)が縫ったもの。
娘を想いながら、1年近くかけてじっくり縫われたものです。
丁寧な縫い目からは、ヨルカのお母さんの性格も見えてきます。
これを作った彼女は本当に心温かいお母さんだなぁと感じるとともに、
きっとヨルカもそういうお母さんになるんじゃないかなと思いました。
 
ベッドが作り終えられると、ベッドの周りで飴が投げられて祝われます。
 
 
みんな必死になって飴を拾います。シャショー!
 
さて、お次は前日の夜に準備したダスタルカンが広げられます。
 
 
肉が皿の上に出され、果物とお菓子がもう一つの皿に出されます。
 
 
写真を撮るのに夢中になっていたのですが、「君も食べなさい!」と自分の指3本分の太さがある立派な肉を頂戴してしまいました・・・で、でかい・・・・食べきれるのか、こんなの。格闘すること20分。なんとか最後まで食べきりました。
 
 
うへぇ、苦しい・・・まぁ、肉も食べ終わったし、これで茶会も終わりかな?
 
 
そんなとき、信じられない光景が目の前に。
 
 
へ?ひつじ?
なんでいまさらヒツジ出てくるの、今食べたじゃん・・・と思ったら、早速お祈りがはじまる。
 
 
なんと、これから屠るというのです!そう、肉を持参した嫁側のご両親に対するお返しとして、
今度は旦那さん側のご両親が肉を出すというのです・・・。
 
屠畜がはじまると、ここで集まっていた人たちがそれぞれ家に帰り始めます。
あれ?これからまたみんなで食べるのでは・・・・
 
「みんなはそれぞれ家に戻って、自分たちの家でお茶を振舞う準備をしているのよ」
 
‼‼??
 
なんと、茶会は一回では済まなかったのです。
集まった旦那側の親戚たちがそれぞれの家で、嫁側の親戚を招待してお茶会を開くというのです。
嫁側のご両親にくっついてきた私はもちろんそのほかの茶会にも出席させていただいたのですが・・・
 
た・・・
 
食べ過ぎで腹が痛い・・・・
 
その後、旦那さんの姉が嫁いだ先でいただき
 
 
旦那さんのご両親が屠畜したものをいただき
 
 
この日は3頭分のヒツジを目にすることに。うっぷ。気持ち悪い・・・・・・・。
 
この時点で時刻は夜の10時。残りの家(5軒)は、翌日に行くことになりました。
私は・・・・・・・翌日は耐え切れず逃げました。はい。
胃薬!胃薬!カザフ人の茶会に参加するのには胃薬は必須アイテムだと実感しました。
 
翌日も、上記のごとくみんな肉を食べ続けたとのこと・・・どんな胃袋してるんだ。
ちなみにこの日は茶会だけではなく、お祝いの品を持ってきてくれたクグルシンさん側の親戚の人たちに
お礼返しをするなどもしてました。お礼を渡したり返したり。やり取りが多くて大変!っと言ってました。本当に大変そう。
 
そんなこんなで、2日間かけてようやくすべての茶会が無事に終わりました。
ヨルカ夫婦には、これからもずっと仲良く円満な家庭を築いていってほしいなぁと思います。
 
土, 09 8月 2014 07:41

家財道具を贈る茶会(準備編)

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8月4日。
 
この日は、私のウルギーでのホームステイ先だったクグルシンさんの次女ヨルカに、
家財道具一式を贈るお祝いの茶会の日でした
カザフでは、嫁いだ娘に対して、
結婚してから1年後に夫婦の新たな生活を祝って家財道具一式を贈る習慣があります
 
ヨルカは7年ほど前に結婚したのですが、経済的な事情もあり、なかなかこの茶会を開くことができずにいました。
それが、なんとラッキーなことに今回の私の滞在中に開かれることになったのです!!
これは絶対にみたい!と、お願いして参加させていただくことになりました。
 
この茶会の事を、カザフ語で「トゥセク・オロン」といいます。
今回のblogでは、そのお茶会が行われるまでの準備の様子について、ちょっとご紹介します。
 
***
 
茶会の5日ほど前。
クグルシン家のある部屋に、新しいマットレスや枕など寝具が置いてありました。
 
 
いよいよ茶会の日が近づいているのか~と思うと、ちょっとわくわく。
ヨルカ夫婦に贈られるものの中でもこまごましたものは、カバンの中に入れて運ばれます。
 
 
ちなみに、カバンの端にはウクウと呼ばれるふくろうの羽がつけられていました。
 
 
カザフの人たちには、大切なものにこのウクウをつける習慣があります。
なぜふくろうの羽なのか?それには諸説あるのですが、よく言われるのが
「ふくろうの羽の模様がコーランの文字に似ているから」
だそうです。だから、この羽はお守りとして、神聖なものとして扱われるそうです。
 
***
 
茶会の3日前。
ウランバートルから大量の絨毯(工場製)が送られてきます。
 
絨毯は、ヨルカの旦那さん側の親戚にお祝いの品(これをコルジュンと呼ぶ。)として贈られるものだそうです。
この時すでにクグルシンさんたちは、旦那さん側の親戚から様々なお祝いの品をいただいていました。
 
 
 
つまりクグルシンさんたちは、お祝いの品をくれた旦那さん側の親戚に対して、そのお返しとして絨毯やら新しい衣服、布などを贈らなくてはいけないのです。8軒分も準備したとか。大変~。
 
***
 
茶会2日前。
日中、クグルシンさん側の親戚達に茶会が行われることを知らせにまわります。
すると夕方にはクグルシンさんの親戚達がクグルシンさんの家に集まってきます。
親戚たちは、お祝いの品を持ってきます。お祝いの品は、主に洋服など。
この日はお祝いに来てくれた親戚たちと一緒に、羊肉を食べました。
 
***
 
茶会前日。
クグルシン家はますます慌ただしくなっていきます。
夕方、羊を一頭煮込みます。
この煮込んだ羊肉は、箱に入れられ乳製品とともにひとつの袋の中に入れられます。
これとは別にもうひとつ、お菓子と果物がたくさん入れられた袋が用意されます。
 
 
この二つの袋(中身)のことを、ダスタルカンといいます
ダスタルカンは、茶会に持っていかれます。
茶会にはこのダスタルカンに加えて、馬乳酒(この時は10リットルだった)も持っていかれます。
 
写真
 
クグルシンさんの奥さんは、朝から晩まで大忙し。
カザフ人にとって、この「トゥセク・オロン」と呼ばれる茶会が、
本当に大切な茶会であることがわかります。
 
***
 
そして茶会当日の朝。クグルシン家に車がやってくる。軽トラック!
 
トラックに荷物を詰め込みます。
全部詰め終わった後、玄関で飴をばら撒き、出発を祝います。
 
 
これをカザフ語で「シャショー」と言います。投げられた飴は拾っていただきます。幸せのおすそ分けって感じでしょうか。シャショーは、結婚式や卒業式など、お祝いごとのときにはよく行われます。飴は年配の女性によって投げられます。
 
さぁ、これでやっと出発の準備がすべて整いました!
一体どんな茶会になるのか・・・・・・・いよいよトゥセク・オロンに乗り込みます!
 
つづく
日, 24 3月 2013 15:39

カザフのナウルズ(後編)

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ナウルズの日、午前中は前回ご紹介したとおり、パレードや広場での出し物を楽しみましたが、午後になるとものすごい勢いでみんな撤収。え??もうおしまい??こんな速いの?ウイ(移動式住居)もあっという間にたたまれてしまいました。
 
 
もっと夕方までお祭り騒ぎなのかなーと思っていたのに、あまりの撤収のはやさに驚きを隠せず。でも人もいないし、いつまでもだらだら広場にいても仕方ないので家に帰る事にしました。家に帰ると、子どもが二人、家でお客様にふるまうナウルズクジェ(お粥)を作ってました。
 
 
すると突然電話が。クグルシンさんでした。ぬ?そういえばクグルシンさんどこいったの??
 
 
クグルシンさんは、家の近所に住んでいる自分の親戚をまわっていたのでした。「とるごい(わたしのあだ名ね)も、こっちに来なさい〜。写真撮りたいでしょ?」と呼んでくれたのでした。
 
 
と、いうことで、ここでクグルシンさんと合流。親戚の方の家にお邪魔しました。
 
 
 
このお宅でも、ナウルズクジェを頂き、肉を頂きました。おいしかった^^
で、これで終わりなのかな?と思いきや、クグルシンさん「次に行くぞ!」と言い出す。え?次があるの??
 
 
と、いうことで、2件目.....
また親戚のお家にお邪魔して、肉食べて、クジェ食べて.....
 
 
 
 
で、また移動。3件目.....
 
 
 
4件目.....
 
 
 
まだある5件目
 
 
 
6件目でやっと家(クグルシン家)にもどり.....
 
 
 
 
いくらお粥ばかりとはいえ、こんなに出されちゃもう胃がもたん!!!!!!!
 
 
 
でもまだ続く、遂に7件目.....うへぇ。
 
 
 
ここまでの写真を見るとおわかり頂けるかと思いますが、基本的に食卓を囲むメンバーはどこに行っても変わってません。というか、親戚同士で集まって、それぞれの家に一緒に移動しながらお粥を食べ歩いていたという感じです。「別に一件で一回集まればいいじゃん」とかいう考えはないのです。それぞれの家にちゃんと移動するという。おもしろい。どこの家から始まって、どこの家で終るとかいう順番はあるのかなぁ。その辺りは、また聞いてみたいところです。
 
 
ちなみに、このあと、クグルシンさんは8件目、9件目に行きました。すごすぎる....。わたしはこの日は限界で、8件目、9件目には翌日行きましたが、ナウルズ翌日はもうクジェもほぼ終っちゃってました。ナウルズ当日に色んな人が出歩いて挨拶まわりするという感じです。
 
 
というか、これだけ近くに(わりと徒歩10分圏内に)親戚が密集していることにびっくり。どうりで、イベント毎にみんな親戚が集まってくるわけだ。
 
 
ナウルズクジェを食べ歩きしてわかったこと。クジェの味は、家ごとに微妙に違ってなかなか面白い。前回でもご紹介しましたとおり、ナウルズクジェは、羊肉や馬肉の煮汁に米を入れたり、麦をいれたり、乳製品を入れたりして作るのですが、肉の煮込み具合や中に入れるものの量によっては、肉味が強かったり、酸味が強かったり、食感が米粥よりもしっかりしてたりと、様々なのです。食べ過ぎて胃にもたれてきつかったけど、でも、どんな味か気になってまた食べてしまう......。うう。贅沢な話なのですが。
 
 
と、いうわけでナウルズはわりと一日であっさり終ってしまった感じでした。ナウルズも過ぎたし、いよいよ春本番になるのかな〜と思いきや、今日は早速雪になっちゃいました....。さむいー。春もどってきてー。でも、これからちょっとずつ一番いい季節がやってきますね^^
 
 
 
<おまけ動画>
クグルシン家にみんながお粥を食べにきた時に、クグルシンさんがギターで演奏して、みんなで歌を歌っていました。その様子をどうぞ。1曲目は途中から、2曲目は”アケメ(父へ)”という曲です。
 
 
土, 23 3月 2013 15:58

カザフのナウルズ(前編)

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 3月22日は、ナウルズと呼ばれるヒジュラ暦の新年を祝うお祭りでした。カザフ人はイスラム教を信仰していて、夏のラマダン(断食)や秋に紹介したコルバナイト(犠牲祭)など、イスラムの習慣に則った行事を行います。
 
 
ナウルズは、他のイスラム諸国でも祝われる行事で、ペルシャ語ではノウルーズと呼ばれるそうです。ナウルズはカザフ語読み。地域によって、祝う日にちもちょっとずつずれているようですが、カザフ人は3月22日に祝います。ナウルズは、太陽のお祭りとも言われ、春の訪れを祝う行事です。祝い方も場所、国、民族によって異なるようですが、ここではカザフのお祝いの仕方をご紹介したいと思います。今回は、写真たっぷりでご紹介します!
 
 
***
 
3月22日になる前から、街のあちこちでお祭りの準備をしている様子が見られました。
 
 
前日である21日には、競馬/相撲/コンサートなど、様々なイベントが行われていて、みんなで新年の訪れを盛大に祝っていました。
 
こちらは、相撲のようす。モンゴル相撲をカザフ人がとっていました。大迫力!
 
 
 
こちらは、コンサートのようす。楽器の演奏や歌、踊りなど、たっぷり1時間楽しめました。
 
 
 
3月22日は朝から町中がお祝いムード。みんなの衣装が!!!きれーい!!!いろんな人に声をかけて、写真を撮らせてもらいました。もうこれだけでかなりウキウキ♪ 子どもも大人もみんなすごいおしゃれ〜
 
 
 
午前中は、ウルギー市の中心にある広場でパレードが行われました。民族衣装を着たカザフ人たちが、街を行進しました。
 
 
さすがはウルギー。カザフの衣装だけではなく、モンゴルの民族衣装を着て行進している人達もちらほら見られました。ハルハ族の衣装じゃないのも見られましたが.....どこの衣装だろう??
 
 
パレードのあとは、広場内に建てられていたウイ(カザフの移動式住居)をまわりました。
 
 
あるウイの中からドンブラの音色が聴こえてきて、それに惹かれてふらっと立寄ってみたのですが、なんとそこにはホームステイ先のパパ、クグルシンさんが!
 
 
 
広場には9つのウイが建てられていました。それぞれのウイの中は美しい装飾が施されていました。どうやら、コンテストが行われたらしく、団体ごとにウイを建て、どのウイが一番綺麗か、どこが一番カザフらしさを表しているかを競っていたようです。内部のようすは、こんな感じ。どこみても文様だらけ。
 
 
机の上にはずらっと沢山のお菓子や乳製品などが出され、真ん中には大きな大きな肉のかたまりが。みんなで囲んで食べました。
 
 
 
たくさんの肉を食べることで知られるカザフ人たちですが、ナウルズのときには、あまり大量の肉を食しません。ナウルズのときは、どこに行っても「(ナウルズ)クジェ」と呼ばれるお粥が出されます。このお粥は、羊肉や馬肉の煮汁に米や麦を入れて粥をつくり、さらにアイランと呼ばれるヨーグルトやコルトと呼ばれる凝固乳を加えて混ぜたものです。
 
 
 
 
午前中は、このウイの中で肉と一杯のクジェと頂いただけでしたが、この日の午後はすごいことになりました.......。どんなすごいことになったのかというと、それは後半に続きます!
 
 
<おまけ動画>
★ほんのちょっとですが、パレードの様子はこちらから
最初の方の行進。ビデオ撮ってる事うっかり忘れて、途中でぎゃーぎゃー騒いでいます。ちょっとお聞き苦しいところがあるのですが。
遊牧民を表現しての行進です。
 
★ウイの中での演奏の様子はこちらから
モンゴルブスグインウゼスゲレンというモンゴルの歌を歌っているところです。やや暗いです。
土, 15 12月 2012 06:33

コルバン祭り

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10月以降なかなかblogを更新できずにいます。
でもその間に、書きたい事はどんどんどんどん増えていくわけなのですが...。笑
この冬は、またこつこつ書いていきたいなと。
 
 
今回は、タイトルにも書いた通り、コルバン祭りというイスラムの犠牲祭について、ご紹介します。
 
 
ウルギーのカザフ人達は、主にイスラム教を信仰しています。それほど厳格なイスラム教徒ではないとも言われますが、とはいえやはり彼等の生活の至るところでイスラム教との関わりを見る事ができます。
 
 
「コルバン」とは、アラブ語起源の言葉で「犠牲」を意味します。ヒジュラ暦にのっとって日にちが決定されているため、毎年開催日が変わります。今年は10月26日〜28日の3日間でした。(来年は、これより10日ほど早くなる予定。)この行事は、人々の幸福な生活を願い、アッラーに祈りを捧げるものです。人々はこの期間に、アッラーに捧げるための羊などの家畜を、必ず屠らなければなりません。コルバン祭は、イスラムの行事なので、ここウルギーに限らず、他の地域のイスラム教徒達の間でも必ず行われます。
 
↑コルバン祭前の町のようす。町のあちこちで、羊やヤギが縛られている。
 
 
私が泊まっているクグルシン家でも、コルバン祭初日の朝は大忙し。まずは、屠殺する家畜を購入するところからはじまりました。このとき、羊1頭190,000tg(現在のレートで日本円に換算すると約11,000円)、子羊1頭80,000〜90,000tg(約5,000円)くらいでした。 お母さん、出来るだけ安く羊を飼おうと必死にあちこちの羊売りに値段を聞きましたが、結局どこも対して変わらないという事で、190,000tgで購入。羊を縛って車のうしろにぽいっと放り込み、連行。
 
 
↑観念したのか?かなり大人しい羊。
 
 
羊を連れてくると、早速屠殺開始。でも、その前に、アッラーに必ずお祈りを捧げます。
 
 
↑これから屠殺を開始。声を出させないようにするためか?羊の首を手で押さえて、このあと一気に首の頸動脈をかっ切る。
 
 
屠殺の詳しい方法は、また別の機会に紹介するとして、屠殺後早速羊の頭や内蔵、羊肉を煮込みます。この日の夜は、親戚達を呼んで茶会が開かれました。みんなで屠った羊をわけあうのです。わけあうときは、はじめに必ず頭の肉をみんなで分け合います。
 
 
↑茶会の様子。羊のもりもりもりあわせが、一皿二皿と出される。
 
 
この犠牲祭の間に、必ず1頭家畜を屠らなければならないと書きましたが、経済的な事情や他なんらかの理由があって、どうしてもこの期間中に屠ることができないという家庭も、当然あるわけで、茶会ではそういう状態にある人々を呼んで、皆でわけあうことになっています。
 
 
また、経済的にこの犠牲祭のために家畜を屠ることが困難な状況にある人々に対しては、トルコのイスラム教の団体らが援助して、家畜を与えているようです。詳しい事は確認できませんでしたが、どうやら数百頭の単位でトルコの団体が家畜を買い占め、それを貧しい家庭に分け与えるらしいです。(ここ、ウルギーは教育機関なども、トルコと密接な関係を持っていると、この時聞きました。)
 
 
ちなみに、この犠牲祭の間に屠った家畜の皮や毛などは、個人的に衣服を作ったりして使用することは許されていますが、その皮や毛を売って、売ったお金を使うことは禁止されているそうです。
 
 
犠牲祭2日目、最終日には、他の親戚の家で茶会が開かれ招待されるなど、沢山沢山お肉を頂きました。ものすごく美味しかった......。んまんま。
 
 
このコルバン祭以降、季節はいよいよ冬に近づき、本格的な家畜の屠殺シーズンがはじまりました。
次回からすこしずつ、家畜の屠殺や肉/内蔵の料理方法などを含めて、カザフの食文化について書いていきたいと思ってます。つづく!