木, 16 1月 2014 12:23

くさい

 

いやー、さむい。
東京から来ると、寒さがぐっとくる。
でも、寒さよりにおいがキツい。
いやー、くさい。
ホント、くさい。
 
暫く日本に居てからこっちに戻ってくると、ウランバートルの空気の悪さに驚かされます。
こっちに来た日の夜は、においが気になって眠れなかった。
家の中まで、煙くさいにおいがする。ひえー。
 
明日からは、ウルギー。
ウルギーは、ウランバートルと比べものにならないほど、
空気がきれい&街の中心部は意外に暖かいので、
楽しみ^^
 
朝の石炭出し&火付けとか、掃除とか、油断してるとすぐ凍ってしまう水汲みの仕事とか。
ウルギーでの日常生活が、恋しくてたまらないのです。
 
 
 
以下ウランバートルでちょい撮りした写真。
 
↑ウランバートルのフラワーホテル前の坂道にて。
子どもがそりで遊んでる。
道がガチガチに凍ってて、のろのろ歩くより滑った方が速い。笑
 
↑スカイデパート前には氷のオブジェが。
トナカイとか雪だるまとか定番物もありましたが、なんとなくカンフーパンダが気に入ったので一緒にパチリ。
 
火, 05 2月 2013 07:16

変わるウランバ―トル

 

blogを更新せず、ご無沙汰しています。あっという間に2月になってしまいました。
 
 
1月末に、ウルギーを離れ、再びウランバートルに入りました。移動したり、他にもやらなくちゃいけない事が重なってたりで、なかなかゆっくり文章を書けない状態です。色々ここでご紹介したいことが山のように積もってます。焦らずやってきます。のんびり。
 
 
今回のウランバートル入りは、もうすぐモンゴルが旧正月「ツァガーンサル」を迎えるということもあり、その様子を見にやってきました。流れるTV放送はすっかり正月ムードです。モンゴル人のご家庭では、モンゴル料理「ボーズ」(小龍包のような蒸し餃子。中には羊肉が入ってて美味しい。)を大量に作っているところが見られます。はやくボーズ食べたいなぁ。
 
 
 
それにしても、ウランバートル、寒いです。先日は街を歩いてたら、本気で鼻がもげるのではないかという位の猛烈な寒さに襲われました。危険。道路は凍ってしまい、あちこちで衝突事故やスリップ事故が相次いでいます。この間はプリウス2台が正面衝突しているところを見ちゃいました。あーあ。
 
 
ウルギーは、寒いといっても平均気温はせいぜいマイナス15~20℃でした。ところがUBの最低気温はマイナス30℃前後。おまけに冷たい風も吹いてくる。鼻の頭とか耳とかに風があたると痛いのです。さらに寒い日は、町中煙がもくもく出ている状態で、特に夜出歩くと息苦しい感じです。外に出てもいいことなし。なので、もっぱら、引きこもって出来る事ばっかりやってます。
 
 
下の写真は、ウランバートル市内の様子です。車内から撮影したので、わかりにくいかもですが。なんとなく、曇った感じです。
 
 
 
こちらは、火力発電所近くで撮影した様子。
 
 
ウランバートルに入ってきてびっくりしたこと。ちょっとずつではありますが、また物価があがっているように感じられました。事実、旧正月明けには公共バスの値上がり(400tg→550tgへ)が予定されています。聞いた話ですが、ロシアでガソリンが値上がりするたびに、モンゴルの物価があがっているとか。しかしながら、モンゴルの労働者の給料があがることは無く、苦しい状況が続いているそうです。一度あがってしまった物価は、簡単には下がらないし、この先の経済に不安を抱えているモンゴル人も多いようです。
 
 
もうひとつ、びっくりしたことは、建設中のビルの多さです。近年、深刻な問題となっているウランバートル市内の人口増加、および人口増加に伴う住居不足への対応でしょうか。あちらこちらに建設中のビルが見られます。
 
 
 
近年、多くのモンゴル人が田舎を離れ、都会に住み移りましたが、住むところが無く、郊外にゲルをたてて住むようになりました。これがいわゆる、ゲル地区です。しかし、ゲル地区の人口が増えるにつれて、そこから出てくる煙(石炭を燃やす事で暖をとっているため煙が出る)が増え、深刻な大気汚染を引き起こしています。そこで、この大気汚染への対策として、マンションを建てて、そこに人々を住まわせようとしているようです。政府は、住民から土地を買い上げ、そのお金でマンションに入れるようにしようとしているようですが、果たしてうまくいくのか。また、ウランバートルを東西に拡張しようという動きもでているそうです。こうした人口増加の裏で、人々はなんとか自分たちの土地を確保しようと、「土地取り合戦」をはじめているとも聞きました。いま、ウランバートルの土地は、ものすごいスピードで高騰しているそうです。
 
 
来るたびに、少しずつ様子が変わっているウランバートル。未来は一体どうなるのか。将来に不安を抱きながら生活している人も少なくないようです。
 
 
***
 
 
ところで、前回のblog記事でご紹介しましたコンサートご一行。現在も全国各地で演奏活動中。2/10には、京都で一般向けコンサートが開催されますが、こちらはなんとカザフの伝統楽器ドンブラonlyによるスペシャルコンサートとのこと。カザフの音楽をたっぷり楽しめるコンサートは、日本ではなかなかありませんよ!お近くの方、ぜひぜひ会場へ足をお運びください。ドンブラの音色、心に響く素敵な音色なんです。多くの方に、ぜひ聴いて頂きたいなと思います。イベント詳細は以下の通りです。 
 
遊牧と騎馬の旋律-中央アジア•カザフの歌と器楽-
2013年2月10日(日)

17:30開場・18:00開演

出演:イナーラ・セリクパエバ(カザフスタン共和国)
   リヤス・クグルシン(モンゴル国)

チケット:
予約 3000円
当日 3500円
なお公演終了後,演奏者を囲んだ懇親会があります(20:00~20:45)
懇親会参加費は500円

会場:大西常商店(京都市下京区松原通高倉西入る本燈籠町23)
   http://www.ohnishitune.com/

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 お名前,予約人数,連絡先をお知らせください。
 
土, 14 4月 2012 06:05

UBから出られない!!

4月5日にモンゴルに到着して、約1週間が経過しました。
いまだ、ウランバートルにいます。
 

ウランバートルの空気は相変わらず悪く、
本当だったらさっさとここを出て、 ウルギーに行きたいところなんですけど、
なかなかうまく事が進みません。
 

と、いうのも、「居住登録」が終っていないからなのです.....。
これが今回はなぜかものすごい苦労しました....。


今回は、カザフのこととは関係なのですが、
モンゴル国の居住登録について、自分が経験した事を自分が忘れないためにも、まとめておきたいと思います。


モンゴル国に90日以上滞在する外国人は、
①まず、自国にいるときに、滞在理由にあわせたvisaを取得し、
②入国後に、モンゴルの入国管理局に行って入国長期滞在するための許可をもらわないといけません。
 

***
①私の場合は、今回はモンゴルのとある大学の外来研究員という身分での滞在なので、
学生ビザを東京にあるモンゴル大使館で取得してから入りました。 
 

学生visaを得るためには、自分が所属を希望する学校とコンタクトをとって、その学校が指定する書類を提出します。
私の場合は、カバーレター、履歴書、健康診断書、研究計画書、日本の大学の在学証明書と成績証明書を出しました。

(ちなみに健康診断は、一般的な身長,体重,視力,聴覚,血圧,脈拍など/血液検査/尿検査/心電図/胸部レントゲン/色覚/HIV検査。


これら全ての書類をモンゴルの学校に送ってOKが出ると、モンゴルの学校から大使館に連絡が入ります。
大使館に行く前に、visa発行許可が届いているか電話で確認してから行く方がいいです。
大使館についたら、学生visa発行料金10400円をその場で払って、引換券を受け取り、1週間ほど待ちます。


ここまでが、日本でできること。


②入国してからは、まず入国翌日に自分の所属先に行って、確認をとります。
実は自分は、2009年にも同じ学校に留学していましたが、
そのときは派遣留学生だったためか、あとの手続きは全て学校がやってくれました。


でも今回は、学校が私に仮居住許可依頼書(←これは私が勝手に命名したんですけど)を渡して、


この書類と、証明写真とパスポートを持って、入国してから1週間以内に自分で入国管理局に行くのよ。」 
「そのときに、むこうで、指紋を必ず提出するのよ」 


と言いました。


なんか、不安....と、思いつつ、さっさと終らせてウルギーに行きたかったので、早速入国管理局へ。
(ウランバートルのチンギスハーン国際空港の近くにあります。)


ついてすぐ、パスポートのコピーをとらなくてはいけないことを知らされ(コピー代2000tg)、
そのあと管理局で渡されたアプリケーション(所属先や住むところについて)を書きました。
それをパスポートと一緒に渡すと、すぐに一時居住登録済みの印鑑を押してくれました。


んで、そのとき、「指紋出すように言われたんですけど」と言ったら、

「指紋はこれ全部揃えてきてから!わかった?!」と、小さな紙を渡されました。


そこには、文科省(Bolovslorin yam)の許可書、学校側が作成する居住許可依頼書自分の住所証明書、証明写真2枚、パスポートの写しと書いてありました。これを、21日以内に全て揃えて、再びここに来るように、と。(これに加えて、登録料が85400tg必要になる。)


ちなみに、自分の住所証明書は、そういう住所証明書を発行してくれる機関がウランバートルの各ブロック(dvvreg毎なのか、horoolol毎なのかは不明)にあって、そこに行って発行してもらいます。発行の際には、パスポートのコピー(visa,入国印のページも)と証明写真1枚が必要です。


***

と、いうことで、住所証明書以外の書類は自分ではもうどうしようもないので、一度学校に戻りました。
ついでにそこで指紋を出せなかった経緯も説明。
結局、文科省からの許可が下りた時点で、今度は学校の人と一緒にもう一度管理局に行く事になりました。


でも、なんで指紋?? 最近厳しくなったのかなぁ。
2009年に来たときは、そんなもの出さなかったけどなぁ。
全部学校側にやってもらってたから、知らないだけだったのかもしれないけれど...。
いずれにしても、こういう事情で登録がなかなか終らず、ウルギーに行けないという状況です。


今回、居住登録しようと思って改めて感じた事は、
ウランバートルではこういった書類や手続きがなかなかスムーズにすすまないという現状についてです。


なぜなら、まずその機関に行くまでにウランバートルの深刻な交通渋滞のせいで一向に辿り着けないし、
やっと辿り着いたかと思えばみんな言ってる内容がばらばら、
「よくわかんないんですけどー」って質問しても、ものすごく冷たくあしらわれてしまい
何度も何度も食いつかないと理解できない。
 

今回は不安だったので、モンゴル人の友人と一緒に行ったのですが、それでもトラブルがあったり...。


いやいや、なんだかんだ言っても自分のモンゴル語がちゃんとしてれば上手く行くんだろうけど、
それにしても、頭を抱えたくなることが多いなぁと感じました。


これも経験と思って、登録が終るのを待ちます。
UBでできることも沢山あるし!ウルギーに行く前の準備、がんばります!








 

 

 


 

日, 29 6月 2014 01:17

何がカザフ文様?

 

先日、大学院の定例研究会で発表しました。
発表の出来は・・・相変わらず・・・自分の中ではあんまり納得いかず。
いや、発表で納得いったことなんてないのですが。
毎回、色んな発見や気づきの連続です。人に何かを伝えようとするのは本当に難しい。

それはまぁどうでもいいんですけど・・・
 
カザフの装飾や文様の話をしていると必ず言われるのが「○○の文様に似ているね」ってことです。
でも今回はそれに加えて、「実際のところ、何がカザフ文様なの?」と聞かれたのです。

 
 

この質問には・・・うまく答えが出せませんでした。
確かに、アイヌや他地域の北方民族、中央アジアの民族の文様と似てるんです。
曲線とか渦巻きとか、左右対称で表されてるところとか・・・
やはり大きな流れとして繫がっているところはあるのでしょう。


ですが、似てるんですけど・・・何か微妙に異なっているんです・・・
「カザフでよく見られる文様」らしい何か。


似てる文様を並べて、ただ似ていると指摘するは簡単です。
でも、他の民族のものに似てるけど、これは明らかにカザフのものっていう部分を明確に見分けるのは、かなり難しいことです。それは、よほど深くカザフに通じ、カザフを知り、カザフを見ていないと答えられないことです。
 
 
 
 
実はウルギーにいた頃に、彼らの目にはカザフ文様ってどのように認識されているんだろうって気になって、アンケートを取ったことがあります。
 
 
そのときのアンケートでは、ヨーロッパや中央アジア、東南アジア、日本、モンゴルなど色んな地域の文様を混ぜて、計50枚の写真を1枚ずつ見せて、それがカザフ文様かどうかと質問してみました。カザフの文様はカザフの文様集という本からピックアップしたり、刺繍布の写真の一部を使いました。
 
 
驚いたことに、日頃からいつもカザフ文様に触れているはずの彼らでも、いざ他の地域の曲線の文様を混ぜてみると、「これはカザフだ!」っていうんです。


アイヌもモンゴルも、特に意識せず、これもカザフだあれもカザフだ・・・
曲線で表しているものなら、なんでもカザフになりえるのかな?


でも中には、ちゃんと「カザフの文様」がわかってカザフの文様だけを指摘した人がいました。
それは私に刺繍を教えてくれた、アイナグルという人でした。


アイナは、「似てる」とは言ったものの、「この部分が違う」とか「こういう曲がり方はない」とか、きちんと説明してくれました。




カザフの文様は、いくつかの細かい文様が合体して一つの文様を構成しています。例えば、オスヒツジの角、去勢ヒツジの頭、数頭のヒツジの角が繫がっている様子、鳥の頭、ラクダの足跡などなど。そういういくつかの種類のパーツを組み合わせてひとつの大きな文様となっています。アイナグルはちゃんとパーツの一つ一つがわかっていたのでした。


また、カザフ文様は、使うものによって使い分けられているということも教えてくれました。昔から使われているのは絨毯に使う文様。これが古くから伝わるカザフ文様であると。そして、刺繍布の文様は絨毯の文様とは異なり、アレンジがたくさんしてあるとか、時代によって変化が見られるとか、そういう細かい話を彼女は私にたくさんしてくれました。




それでも、パッとすぐにカザフの文様はこうだ!っと答えられないのは私の勉強不足ですが・・・。
アイナグルもその特徴を一言でいうのは難しいと言ってました。


でも、組み合わせられた文様には、カザフ文様を特徴づけている何かがあるわけで・・・それがなんなのか、今後もじっくり観察していきたいと思います。文様のそれぞれのパーツについては、また別の機会に。
木, 02 10月 2014 14:29

ヒツジを屠る

コルダスのお家では、2泊3日の滞在期間中、ヒツジを3頭も屠ってくださいました。
そのうちの一回は、我々も見学させていただくことになりました。

 
 
このとき屠ったのはトクタと呼ばれる2歳のヒツジでした。
前脚と後脚を縛って動かない状態にして、コーランの一部を読みます。
読み終わったらヒツジの口に手を挟み、そのまま一気に喉をひと突きします。
 

ブシュっという音とともに、血が一気に出てきます。
頭を落とすために、首を切ります。
たらいにドンドン血が溜まっていきます。
苦しそうにヒツジが声をあげます。
一緒にいた女の子(日本人)の数名は、怖くて見れないと離れてしまいました。


私はウルギーで同じ光景をたくさん見てきたので、怖いという感情はなかったのですが、でもやはり何度見てもいつもこの瞬間はとても複雑な気持ちになります。さっきまでそこで歩いていたヒツジを、人の手によって屠り、その命をいただく。自分ではない別の存在の命を、とても近くに感じる瞬間です。
 
 
これまで何度か遊牧生活の中でヒツジを屠る瞬間に立ちあってきましたが、彼らのそばにいると、カザフ人ならカザフ人なりの方法で、モンゴル人ならモンゴル人なりの方法で、このいただいた命を決して粗末にすることなく向き合っているようすがよくわかります。だから、わたしも、屠畜の際は出来るだけ彼らのそばでみて、この命と向き合いたいと思っています。
 
 
 
話は屠畜の様子に戻りますが・・・



血を抜き終わると皮をはぐことなく、すぐに吊るしてしまいました。後脚を上にしてぶらーん。この家では皮はヒツジを吊るした状態のままではいでいました。

 
 
 

しばらくすると、皮はべろーんと剥がされ、地面に置かれました。皮は、塩をたっぷり塗り込まれて、別のところで保管されました。

 
 
 
解体作業は続きます。お腹をきって、内臓部分をばーっと出します。内臓処理は女性の仕事。すぐに女性が来るのかと思いきや、なかなか女性がやってきません。
 
 
 
 
内臓を出されたヒツジはその後筋にそってどんどんわけられ肉の塊になっていきます。
すると、途中で男性が胸部から何かをとって、壁の高いところに投げつけました。

 

ん?一体何をしたんだろう?


「これは、シェメルシェックというんだよ。(日本語でいう、軟骨の部分。)これを家畜が増えますようにとか、子供がすくすく育ちますようにとか、そういう願いを込めてこれを高いところに投げつけるんだ。」




こんな習慣があるとは、知らなかったなぁ〜。まだまだ知らないこといっぱいです。

解体中、一緒にいたカザフ人のおじさんに色々お話をお伺いすることができました。
おじさんによると、カザフスタンでのヒツジの値段は、1-2歳であれば約100ドル、3歳以降の成畜であれば約200ドルとのことでした。成畜の値段は、ウルギーのおよそ2倍です。
ここの家のヒツジの頭数は45頭、ヤギは10頭とのことでした。
 
 
話をしていると、やっと内臓処理をする女性が出てきました。
解体もほとんど終わった頃だったので、そのまま内臓処理のほうに移って見学させていただきました。
水でバシャバシャと洗っていきます。使っている水の量はウルギーでみてきたそれとは比べものにならないくらい少なかった。でも、反芻胃、腸など丁寧に洗って綺麗にして、無駄なく使用していました。脂を念入りに集める様子が見られなかったのが、ちょっと意外でした。内臓の処理の仕方ひとつでも、ところどころに違いが見られます。その違いを観察することは、その人が何を大事にして行動しているかということに気づくためのきっかけを与えてくれます。
 
 
 

しばらくして内臓処理も終わりました。
台所に戻ると、早速肉が煮込まれていました。


数時間すると美味しそうなお肉が山盛りになって出てきました・・・




と、いうわけで、この日はみんなで美味しいヒツジ肉をたらふくいただきました。
日, 21 9月 2014 16:08

おばあさんと糸巻き

コルダスに着いた翌朝。

明るくなってから家の造りをよく見ると、ウルギーのカザフ人の家にはなかったものが・・・
 
 
これ、ご飯作るところかな?
ウルギーで使われている炉とはまるで形が違うけど・・・。
 
「これは、オシャクっていうのよ」
 
 
オシャク?あれ、なんかウルギーでも聞いたことがあるような?
オシャクって確か五徳のことだったような。
 
このオシャクと呼ばれる炉には大きな鍋が二つ乗せられるようになっています。
この家では、小さい鍋が60ℓ、大きい鍋が100ℓ容量とのこと。
もっと大きい鍋になると、200ℓ容量のものも!200ℓ鍋の事を、タイ・カザンというらしいです。タイとはカザフ語で2歳馬のこと。つまり、2歳馬が入っちゃうくらいの大きさって意味だそうです。わぁ。
 
 
 
 
燃料には、木と乾燥したウシのふん(テゼック)、小家畜のふんと土が合わさって乾燥したもの(カイ)を使用していました。これはウルギーと一緒でした。この辺りは、家畜を飼っているからふんを燃料にできるけど、家畜を飼ってない地域だと燃料は木材だけなのかな・・・?
 
 
調理スペースを出ると、もうひとつ、初めて目にする空間が・・・。
 
 
 
 
なんだろう、この居間みたいなスペースは。
 
 
「これは、ロシア語でタプシャンっていうんだよ。普段はみんなここに座ってお茶飲んだりするんだ。え?カザフ語でなんていうかって?いや~、カザフ語で・・・なんていうのかわからないなぁ・・・」
 
と、親切な親戚のおじさんが教えてくれました。
 
ふむ。カザフ語でこの空間を指す言葉がないってことは、元々カザフ人たちの生活の中になかったものってことかな?
 
 
お昼頃になると、おばあさんも起きてきました。起きてすぐ、すーっと静かにタプシャンの端っこに座りました。
 
 
 
 
見た感じ80歳は超えているだろうというおばあさん。この人が昨日のあの敷物を作った人なんだろうか。お話聞けるかなぁ・・・。
 
「こんにちは。日本からきました。カザフの文化に興味があって、特に装飾文化について調べています。あの家にあった敷物は、貴方が作ったものですか?」
 
と、聞いてみた。
するとおばあさん、反応がいまいち。
 
 
「耳の聞こえが悪いのよ」と、奥様。
 
 
まぁ、いきなり初対面でいろいろ聞くのも失礼だよなぁ・・・と思ったそのとき、おばあさんの方から話しかけてくれました。
 
 
「どこの人?カザフ語わかるの?」
「手が・・・手が痛くてねぇ。」
 
 
他の言葉もいろいろつぶやいていたけど、なかなか聞き取れない。
家の人からきいた話ですが、このおばあさんはキルギスから嫁いできたんだそうです。
おお・・・ますますいろんな話が聞きたいけど・・・今の私のカザフ語能力じゃ無理だ・・・。
 
 
おばあさんと私のやり取りを見ていた家族の人たちが、おばあさんに私のことを説明してくれました。私がカザフの装飾文化や手芸について興味があると伝えてくれました。するとおばあさん、ヒツジの毛の糸紡ぎをしているところを見せてくれたのでした。
 
 
 
 
 
「こうやって、こうやってやるんだよ。優しく・・・」
 
 
と、糸巻を回す手にはまるで力が入っていない感じ。スカスカな感じにみえました。
指先でちょいちょいっと糸巻を動かしているだけ。でもしっかり、糸巻をまわして糸を縒っていきます。
 
 
 
 
「わたしもやってみていいですか?」
 
 
と、言ってみた。糸巻を回されてえいっと巻く。ヒツジの毛を糸巻きで巻くのは、実はこれが初めての体験。さっそく、ぶちっと切れた。力の入れすぎ。焦らず、焦らず、もう一回・・・。今度は、くるくる回せた!
 
 
「おお!できてるじゃないか。さすがカザフの嫁!」
 
 
と、まわりの家族がひやかしてくる。だから、嫁にはならないってば~。
 
 
そのあとお孫さん(?)も挑戦。「こんなの簡単だよ~」と言ってはじめたのですが、もう切れる切れる。全然糸巻を回せてない。
 
 
「ああ、ああ。そうじゃないよ、いいかい、こうやって・・・」
 
 
と、おばあさんは優しく教えてあげてました。お孫さんをみつめるおばあさんの眼は、本当に暖かくみえました。
 
 
 
 
その後、タプシャンでおばあさんと一緒にお茶を飲むことに。
 
 
「あたしはもうあっちの世界に呼ばれてるんだけどねぇ。でもあっちに行ったら、このお茶は飲めなくなるだろう。おいしいお茶が飲めなくなるのは嫌だねぇ。」
 
 
やっぱり、お茶は大事なんだなぁ。
 
 
お茶を飲み終わるとおばあさんはお休みに。
素敵なものをたくさん見せてくださったおばあさんに本当に感謝です。
 
 
コルダス滞在話、まだまだ続きます。
 
 
 
 
土, 20 9月 2014 14:29

カザフ流のおもてなし

カザフスタンに行って戻ってきてからもうすぐ1か月が経とうとしています・・・。
時間ってなんてはやいんだ!(って、いつもKECTEを書くたびに言ってる気がしますが。)
忘れないうちに、書き残しておきたいと思います。
カザフスタン旅の続きより。
 
***
 
 
カザフスタンに到着した翌々日。キルギス共和国との国境近くのコルダスという街まで行くことになりました。コルダスまではほぼずっと舗装道路。バスに揺られてことこと7時間移動・・・
 
やっとこさ到着した1軒のおうち。
今回の旅で我々のお世話をしてくれたA大学のとあるゼミの学生さんのご実家でした。
この家に2日間お世話になることになりました。
 
到着するやいなや、テーブルの上に出されるたくさんの豪華な食べ物たち・・・
 
 
おお、さすがカザフ人によるおもてなし。これからお茶会かな?
 
テーブルには果物やサラダがいっぱい!
ウルギーよりもずっと種類が豊富。中央アジアに来たなぁと実感します。
 
そしてもちろん肉も山盛りだされました。
 
 
うう、にく・・・この時すでに夜9時をまわっていたのですが・・・
食べました。つめこみました。がんばった!
 
 
たくさんの料理を出して、きちんと、そして暖かく迎えてくれる。
これが、カザフ流のおもてなしであって、ウルギーもカザフスタンも変わらないんだなぁ。カザフスタンという場所をどんどん好きになっていく自分がいました。
 
 
ご飯も食べ終わり、お部屋に戻るともう寝る時間。
おうちの人が寝る支度をしていてくれたのですが、床にとんでもなくかっこいいものを敷いていることに気が付きました!
 
 
じゃーん!
 
 
 
で、でかい~!
120cm×250cmの大きなフェルトの敷物。その全面にカザフ文様が施されています。
 
 
「(この家の)おばあさんが作ったのよ」と、奥様。
 
 
ウルギーで、サルマックと呼ばれるフェルトの敷物はよく目にしていましたが(コンテンツ:カザフの装飾文化を参照)、それをはるかに超える大きさ。うーん、やはり土地が変われば見れるものも変わる・・・。それにしても、素晴らしい・・・。
 
 
 
 
素敵な敷物を作ったおばあさん。一旦どんな方なのでしょう。
その話はまた次回・・・。
月, 25 8月 2014 07:21

はじめてのカザフスタン

この夏、初めてカザフスタンに行ってまいりました。
モンゴルを出発して、韓国を経由し、カザフスタンへ。
韓国からカザフスタンへのフライト時間はおよそ7時間。中国上空をぐわーっと超えてやっとこさ到着しました。
到着時間は現地時間の夜の21時を過ぎていて、あたりはすっかり暗くなってました。 
ちなみに、日本とカザフスタンの時差は3時間です。日本の方が早い。
 
到着したのはアルマタ(アルマティ)の空港です。
入管のところでは人がごった返し・・・韓国語とロシア語がたくさん聞こえてくる。
韓国とカザフスタンの間はビザの条件が緩和されたようで、たくさんの韓国人が来ていました。
それにしても、カザフ語が聞こえてこない・・・
 
周りを見回すと看板が。どの看板も、ロシア語とカザフ語が併記されてる。
カザフ語だけの看板がない。
 
荷物を受け取って、お迎えに来てくださった人たちとご挨拶。
アルマティのとある大学の大学院生さんたちが迎えに来てくださいました。
みなさん英語とロシア語がものすごく堪能。すごいなぁ~と思わず感心・・・。
これからどんな滞在になるんだろうと、ドキドキしながらバスに乗り、
その夜は宿泊予定先のカザフスタンホテルに向かったのでした。
 
↑明るいときに撮影したカザフスタンホテルの様子。
26階立てです。たかーい。
 
↑フロントでは美人のおねーさんが優しく(時に冷たく)お出迎え!英語・ロシア語・カザフ語対応。
 
今回滞在した場所は、カザフスタンのアルマタとその周辺地域。
アルマタはかつてカザフスタンの首都だった場所(現在の首都はアスタナ)で、とても大きな街です。
 
 
モンゴルでも見かける古いロシア式の建物があったり、東京にもあるようなやたら高いビル群があったりと、古いものと新しいものが入り混じった街。インフラ整備はしっかりされている印象を受けました。平日日中の交通量はかなり多く、渋滞もそれなりに。通勤ラッシュ時は結構な混雑になります。タクシーを捕まえるのも大変。
 
それにしても暑かった・・・カザフスタンに来る前にモンゴルにいたというのもあったんでしょうが・・・やたら日差しが強くて暑い。苦しい。日中35℃になったりすることもありました。ひえー。ダウンジャケットまで持っていったのに。まぬけ・・・。ウランバートルよりもずっと南に位置しているんですもの、当たり前ですよね。
 
ちなみに現地の人曰く、今年は5月6月頃から雨らしい雨が全然降っていないんだとか。こんなことは初めてと、みなさん不思議がっていました。おかげで滞在期間中はずっとお天気に恵まれましたが。
 
カザフスタンに到着した翌日、お世話になる人たちの大学とその付属博物館にいきました。
自己紹介をすることになったのですが、私はロシア語がさっぱりわからないので、カザフ語で。
すると、ものすごくびっくりされました。
 
「あなた、なんでカザフ語しゃべれるの?!カザフスタンに住んでいるカザフ人でさえ、カザフ語話せない人もいるのに・・・素晴らしいわ!すごくうれしい!」
 
「え?本当に日本人?中国のカザフ人じゃなくて?信じられない!」
 
なーんて言われてしまってびっくり・・・一部の人には手を握られて喜ばれました。
みんながすごくにこにこして話しかけてくれる。こんなに喜んでもらえるとは・・・。
 
カザフスタンの過去。以前ロシア人が今のカザフスタンの地にたくさん入ってきて、カザフ人の人口をはるかに超える数になってしまい、カザフ語よりもロシア語の方が使われるようになり、たくさんのカザフ人が母語を離せなくなったと言われています。そんな状況だったからこそ、自分の母語を話している外国人に驚いたのでしょう。彼らの笑顔をみて、自分もうれしくなってしまいました。
 
大学の付属博物館の中に入ると、カザフスタンの言語の複雑な状況がますます伝わってきました。
1936年に最初に建てられたというこちらの自然生物博物館。中の表記の詳しい説明の部分はほとんどロシア語でした。
何書いてあるのか全然わからない・・・。カザフの研究したいならロシア語もわかるようにならないと、と言われた意味をようやく理解した気分でした。
 
 
 
その日のお昼はウズベク料理屋へ。
ラグマンと呼ばれる麺料理を食べました。めっちゃおいしかった・・・。
 
 
カザフスタンは野菜と果物が豊富で、滞在中ずーっとおいしいものばかりいただきました。
さすが中央アジア。私の大好物の乾燥フルーツもたらふくいただきました。おかげで太った、太った、丸まった。
 
 
はじめてのカザフスタン。
見られるもの、話す人、食べるもの、生活の様子・・・これまで見てきたウルギーとは全然違う。でも、カザフ人の生活。
これからどんな滞在になるんだろうとわくわくしながら、その翌日からアルマタの中心部を離れ、
キルギス共和国との国境に位置する村へ向かったのでした。
 
つづく
木, 07 8月 2014 13:18

子羊の毛刈り

今回は、アルタイ滞在中に見たものをちょっと。
その日は子羊の毛刈りをする予定になっていました◎
風は少し吹いていたけど、天気はよく、そこまで寒くない日でした。
予定通り、毛刈りを決行するということでわくわく。
子羊の毛刈りは見たことなかったのでかなーり楽しみにしてました。
 
午前10時すぎ、朝の茶を飲んでちょっとのんびりしていたら、
もう川で子羊を洗い始めていると!うわぁ、はやく観に行かなきゃ!と川に向かってダッシュ。
 
 
おお!子羊を集め始めてる!
これから川で洗うらしい。
いったいどうやって洗うんだろう・・・。
 
子羊たちをうまく一か所に集めて一気に捕える!
しっかり狙って・・・狙った子羊は逃さない。半端ない瞬発力です。
 
 
さて、ここからどうやって洗うのかというと・・・
捕えられた子羊くんにご注目ください。
 
 
・・・これで洗っているのだそうです!
ヒツジは何がなんだかわからないといった様子で、必死に川からあがってきてました。
 
宙に放り投げられたヒツジはまるでヒツジではないかのように吹っ飛ぶ吹っ飛ぶ。
みなさんなるべく遠くにヒツジを飛ばそうとがんばってました。
 
 
 
 
作業初めて1時間半ほどがすぎたころ。およそ150頭すべてをぶん投げようやく洗いが終わりました。
ヒツジ1頭あたりも結構な重量で、さすがに人間も疲れてきたようでした。
お疲れ様です。
 
さて、このあとは、しばらく放置して毛を乾かします。
およそ3時間後、毛刈りがはじまりました。
 
 
1頭あたり約5分ほどでさくさく毛が刈られていきます。
散髪が終わった子羊くんはこんな感じ。
 
 
とぼとぼと小屋に戻っていきます。
疲れ果てたサラリーマンの後ろ姿のよう・・・まだ若いのに・・・。
 
刈られた毛は、数日後にフェルト作りに利用されます。
フェルトには子羊の毛じゃないとダメなんだそうです。
残念ながら、今回もフェルト作りは見れなかったのですが・・・・絶対、いつか、観に行く!
日, 01 7月 2012 04:12

やぎの搾乳

さて、あっという間に1週間はすぎ、私はケンデバイ家を離れて、ババイ家にやってきました。(どういう経緯でそこに泊まる事になったのかは、「アルタイ村へ」をご覧下さい)
 
 
ババイさんは、クグルシンさんの12歳年下の弟さん。ババイさん一家は、アルタイ村の中心から、割と近いところに位置していました。
 
 
ババイ家には、子どもが二人。基本的に子どもが多い家庭をよく目にするカザフ社会では、珍しいな、と感じました。(ちなみに、サグサイ村でお世話になっているマナイ家の子どもは10人、ウルギー市でお世話になっているクグルシン家の子どもは7人。。。)
 
 
当然、労働力も少ないわけで、ババイ家ではケンデバイ家ではしなかったような仕事もお手伝いしました。そう、初めて、山羊の搾乳にチャレンジすることになったのです!
 
 
と、いうわけで、今回は「搾乳」についてお話したいと思います。
 
 
以前の記事でも少し触れましたが、この時期は、仔家畜の体力が十分ではないという理由と、乳製品を作るために沢山乳をとる必要があるという理由から、一日のうちの大部分は親家畜と仔家畜をわけて放牧に出します。夕方に一度親家畜を小屋に戻し、搾乳作業をして人間が利用する分の乳を搾乳した後に、親子一緒に再度放牧にだす、というサイクルです。
 
 
 
搾乳の時間になると、一家はもう大変なのです!搾乳する羊と山羊を捕まえて、縄で首をぐるぐる巻いて固定します。が、捕まえるところから大変。小屋の中とはいえ、じたばた逃げ出す羊や山羊を追いかけるのには、瞬発力と体力が必要です。。。
 
↓こちらは別の家庭にて撮影した写真ですが、結構子ども達は余裕の表情。(むしろ、楽しそう。笑)
 
 
 
ずらーーーーーーっと羊山羊を並べて、やっと全部縛り終えたかなという頃に、さぁ、こっからが女性たちの本番ですよ!端から一頭ずつせっせと搾乳するわけです!
 
↓搾乳中の女性。こんなにずらーーーっと並んだ羊山羊1頭1頭から乳を搾るのです。
 
 
 
 
ババイ家の女性は、奥さんのマイグルさんと娘のアイジャンのみ。女性二人で、羊31頭、山羊37頭を搾乳しなくてはいけないのです。
 
 
と、いうわけで、少しでも彼女達の負担を減らそう!と、私も搾乳に加わる事になりました。「左手でしっかり乳をにぎって、右手の人差し指と中指で絞るんだよ。簡単だよ」と、アイジャンは言うわけです。
 
 
 
んが
 
 
 
ぜんっっっっっっっっっっぜん簡単じゃないんですけど?!
 
 
 
えっ、出なーーーーい!なんで出ないーーーー??
 
 
 
しかも山羊の激しい抵抗に負けておずおずしてしまった自分。アイジャンは、すごい気迫で山羊の乳をがっちり掴んでバシバシ絞ってました。じぎじぎじぎじぎじぎじぎじぎじぎ....っと、山羊に声をかけながら、絞っていくわけです。
 
 
でも、ずっと絞ってると、今度は指が結構痛くなる。。。なんでこんながっつんがっつん絞れるんだ、アイジャンは?!
 
 
私は5歳の頃から搾乳してるよ
 
 
と、さらっと話すアイジャン。すげー。
 
 
 
アイジャンはテキパキちゃかちゃかと搾乳して、あっという間に入れ物(カザフ語でチェレックという)がいっぱいになるのに、私のはいつまで経っても満たされない。てか、私の場合、手が山羊の糞だらけになって衛生的に汚い。←
 
 
 
それでもなんとか1週間やって、なんとか1Lは絞れるようになりました。2時間しぼってたった1L。あ〜。全然役にたってないぞ〜。。。がっかりです。
 
 
 
一方のアイジャンとマイグルさんは、座りっぱなし絞りっぱなしで、1回2時間の搾乳で20Lの乳を搾ります!20Lって、こんなにいっぱい!!!!
 
 
 
やっと搾乳が終った頃にはさすがのアイジャンもマイグルさんもちょっとぐったり。結構な重労働なのです。寒くても暑くても毎日毎日絞らなくてはいけません。こうして絞られた乳を利用して、お茶に入れたり、乳製品をつくったりするんですね。
 
 
と、いうわけで、次回はそうやって絞られた乳から、一体どんな乳製品が出来るのか?自分で実際に作るところに立ち会ったものを中心に紹介していきたいと思います。

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