木, 12 7月 2012 05:15

ババイ家のお引っ越し

 

 

話はアルタイ村、ババイ家に戻ります。
 
 
さて、ババイ家は、6月16日にお引っ越しをしました。
牧民さんは、季節の変化にあわせて年に数回、お引っ越しをします。
これは、家畜の健康状態や草の状態を考えての行為なのですね。
常に家畜のことを第一に考える彼等の生活においては、
1ヶ所に定住、というわけにはいかないのです。
 
 
丁度、私がババイ家にいる間に引っ越しすることになったので、
今回はそのお引っ越しの様子をご紹介したいと思います。
 
 
まずは、引っ越し準備から。
 
 
冬営地にて。この人達本当に移動するのかな?と思うほど、家の中には家具がびっしり。
ベッド3台、ソファー1台、食器棚2台、テレビ、テーブル、長持ち2つ、鏡台、ほかほかほか...
ですが、2日前になってばたばたと荷造りを開始したのでした。
 
 
荷造りとは別に、夏営地で住む家の準備もしなくてはいけません。
そう、フェルト製の移動式住居です。モンゴル語では「ゲル」と呼ばれます。このゲルという言葉は日本でもよく聞かれる言葉だと思うのですが、カザフ語では「ウイ」と呼びます。
 
 
引っ越し前に、ウイの補修作業をしなくてはなりません。
 
 
例えば、壁を直したり↓
フェルトを縫い直したり↓
 

ウイはゲルとは構造が異なり、高く広い造りになっているため、冬にはあまり適しません。そのため多くのカザフ人は冬はスタックウイ(暑い家,温かい家)と呼ばれる木造住居で生活します。ウイに住むのは夏秋の3〜4ヶ月間だけなのです。久しぶりに引っ張りだしてきたウイを直す必要があるというわけです。
 
 
ばたばたと、引っ越しにむけて準備をしつつ、いよいよ16日に!
当日は、大きな大きなロシア製トラック「ゴチ」がやってきます。
これです、ゴチがやってきた!↓
 
 
引っ越し屋さん、朝6時にくるはずだったんですが、朝8時にやってきました。
大遅刻ですね。笑 
 
 
 
荷物を積んで積んで積んで、あららあっという間に出来上がり!
 
 

引っ越し先(夏営地)は、冬営地より12kmほど山を登った先にありました。冬営地よりずっとずっと寒いところでした。ババイ家が移動した場所は、サエハンボラクと呼ばれています。サエハンボラクとは、モンゴル語で、「良き泉」「美しき泉」を意味することばです。水資源、草、ともに豊かな綺麗な場所でした。
 
 
ゴチ(車)でのろのろのろのろと3時間くらいかけてサエハンボラクに到着。到着してまずはお茶飲んで、パン食べて、ゆっくり一段落してから、家の組み立て作業に移りました。
 
 
 
さて、どうやって家を建てるのかというと?
 
 
まずは、扉から。
↓これだけみると「どこでもドア」みたいな感じなのですが。。。
 
 
 
この扉に壁を結びつけていきます。
 
 
 
格子状になっている木の壁をぐいーーーんと引っぱり、結び結び繋げ合わせて丸い形をつくりあげていきます。壁を結びつけたら、まわりをぐるっと紐で固定します。
 
 
次に、家の柱となる部分と、天井部分(天窓)を結びつけて持ち上げます。
 
 
ババイ家では、木の柱でしたが、後で越してきたお隣さんは家の内部に柱がなく、天窓を持ち上げるときは、ジェルバオと呼ばれるしっかりした紐を使って天窓を持ち上げてました。
こんな感じに↓
 
 
さて、天窓をもちあげたら、天窓に開けられている穴に向かって、棒を差し込んでいきます。棒の上の部分を天窓に、下の部分は壁に結びつけていきます。
 
 
木の枠組みを組み立て終わったら、あとは、壁や天井部分を、模様の描かれた布→アクチー&オラガンチー(←"カザフの装飾品"を参照)→フェルト→雨対策のビニール→外壁となる固い生地の布などで、ぐるぐるぐるぐるぐると包み込むように巻いていきます。
 
 
 
最後に、天窓に日光量を調節するための布をかぶせて、完成です!
じゃーーーーん!
↓ババイ家正面
↓ババイ家内部
 
 
あーーーーー、やっとできたーーーーーーー!!!
で、その後、ベッドや家具などを家の中に入れて入れて整えて、お隣さんの家の組み立ても手伝って、気がついた頃にはもうとっぷり夜になってました。げはーーーー。お引っ越しって大変。長い長い一日でした。blogの記事もすっかり長くなってしまいました。。。すいません。
 
 
 
次回は、ウイ組み立ての時に感じたことをちょっと書いてみたいなと思ったりしてます。
月, 28 12月 2015 13:34

やっとこさ振り返る

すごく長い間blogをほったらかしにしていました・・・
 
今年は8月からフィールドワーク兼出張でモンゴルに2週間ほど行きましたが、帰国してすぐに体調を激しく崩してしまい、この秋はほぼまともな仕事が出来ずに時間だけが過ぎていってしまいました。
気が付けばなんと年末・・・あれれ。

今になって、ようやく今年のフィールドワークを振り返る時間が出来てきました。
とはいえ、帰国してからあまりに色々あったせいか、
今年の滞在の記憶のかなりの部分が脳内から消えているのですが・・・。
せっかく行ったのに何も書かないのは勿体ないので、
思い出せる範囲で書いてみようと思います。

今年の夏は8月27日~9月6日の間でバヤン・ウルギーに滞在しました。
夏と言ってもモンゴルでは7月以降は暦上すでに「秋」。
日中は暑くて、朝夕は少し冷えた感じで、過ごしやすかったです。
 
町のあちこちではまだまだキーズ・ウイ(カザフの組立式住居・天幕・ユルタ)が建てられていました。
ウルギーの町に住むカザフ人は、基本的には木造住宅を所有していてそこで生活していますが、夏季になるとキーズ・ウイを建ててそこで寝ます。そちらの方が空気の通りがよくて快適に寝られるからだそうです。
夏季だけの住まいなので、町に建てられているキーズ・ウイの内部はベッド以外の家具はほとんどなく、割とすっきりしています。壁にトゥス・キーズ(刺繍壁掛け布)が張られるのはどこの家も共通していますが。
 
 
↑私が泊まった家庭のキーズ・ウイ内部。
写真に写っている女性はこの家の奥さん(マウリヤさん)。中で刺繍をしていました。
 
今回の滞在の主な目的は私が所属しているNPOで販売する商品の開発。
それから、現地での面白そうな民具の収集。(展示などに使うのです。)
もちろん、お仕事メインの滞在ですが、久々の「里帰り」旅行でもありました。
丸1年ウルギーに行ってなかったので、ちょっとドキドキしながらウルギー入りしたのですが、友人たちはみんな暖かく迎えてくれました。うれしかった~。
町の様子も所々変わっていたいたり、住んでいた家もちょっと様子が変わっていたりで、懐かしくもあり新鮮な気持ちにもなりました。
 
今回の滞在したのは留学中からお世話になっているクグルシンさんの家。
クグルシンさんには子供が7人いますが、この夏は末っ子のエルケジャンだけが家にいました。
他の兄弟は既に結婚して家を出ていたり、大学生になって首都で生活していたり。
私が初めてこの家に泊まった2011年にはまだ10代の子供が5人いたのですが(親戚の子供も含む)、今はエルケジャンだけに・・・。

なんだか寂しい感じ・・・。
 
いやいや、二人でも盛り上がろうじゃないかということで、
ウルギーについて早々、エルケジャンと二人で市場に行って果物を購入しようということに。
 
エルケジャンは大喜び!
というわけで、市場でエルケジャンが選んだ果物は・・・
 
じゃーん
 
 
スイカです!
 
え?ウルギーでスイカ取れるの?
いえいえ、ウルギーのスイカではありません。
購入したのはカザフスタンから来たスイカです。
他にモンゴル国ホブド県産のスイカも売ってたのですが、
カザフスタンの方がおいしそうだった・・・。
重さ13kgのスイカをまるっと1個購入しました。
 
 

エルケジャン、包丁を入刀~
 
 
まぁ~、嬉しそうな顔して!こらこら、つまみ食いはダメよ。
 
味はちょっとぼけてたけど、まぁまぁ甘くておいしかったです。
 
ちなみに、日本で習ったのですが、スイカはお尻が小さいほうが甘くておいしいとか。
でも市場にあったのは全部大きかったので選びようがなく・・・。
もたもた迷ってたら市場のおばちゃんがすっと細長いナイフを取り出し、それをスイカにぶっ刺して表面を小さく三角に切って中身を取り出し、味見させてくれました。中身をそんな風にくりぬいちゃうんだからな~、売り上手だよな~。
スイカはその夜に家族みんなで食しました。
 
こんな感じでウルギーで暫くのんびりしていたのかというと、いえいえ、そんなことはなかったんです。
 
せっかくの滞在期間ですもの、じーっとしているのは勿体ない。
ということで、ウルギー到着の3日後から、友人と一緒に大冒険に出かけました。
一体どこに出かけたのかというと・・・・・
 
次に続く!
火, 23 10月 2012 05:00

いいとこみーっけ!

 

その日、私はめちゃくちゃ疲れてて.....
 
 
と、言うのもその日は1週間の田舎暮らしから戻ってきた日で、いつもだったらそんなに疲れる事ないのに、今回は体調がいまいちな時に強行したもんだから体がバキバキに疲れてて......
 
 
この疲れきった体を癒すため、1週間ぶりのシャワーをあびるべく、ウルギー市内唯一の「すーぱー公共シャワー施設」(と、命名しているただのシャワールーム)に行って、ひさびさのお湯を満喫しようとしていた。
 
 
↑これ、入り口。
 
 
んが。
 
 
運悪くもその日は日曜日。日曜日は唯一このシャワー施設が混む日なのです。。。次の日が学校とか仕事が始まる日ですからね。キレイキレイしないと。ずらーーーーっと並ぶ長蛇の列。ああ、何時間待つんだろう。やだなぁ。疲れたなぁ。体痛いなぁ。
 
 
と、思ってたら
 
 
ふと横の部屋にマッサージチェアーっぽいのが見えるではありませんか。
 
 
↑その部屋の入り口
 
 
「あ。そういえば、マッサージやってるって聞いたことあるなぁ。」
 
 
 
いいなぁ、いいなぁ、マッサージ。体痛いよう。癒されたい.......。と、頭の中で思っていた事が伝わってしまったのだろうか。じーーーーいっと中を見てると、おばちゃんが話しかけてくる。
 
 
 
「あんた、大丈夫かい?すっごい(疲れた)顔してるけど。」
 
 
 
「......あ。わかります?」
 
 
 
おそるおそる部屋に入ってみる。
 
 
 
「......おいくらなんですか?」
 
 
 
きいてみると、それぞれ30分単位で、顔マッサージ10000tg(約600円)/頭、首、肩マッサージ15000tg(約800円)/全身マッサージ20000tg(約1200円)とのこと。
 
 
 
いやいやいやいやいや
 
 
 
こっちの物価を考えたらあり得ない高い金額だけど、日本のマッサージ業界を考えたら神のようなお値段!迷わず全身を選びましたよ!もちろん!もう、めっちゃばっちり揉んでもらいたい!!!!(必死)
 
 
 
でも実はモンゴルでのマッサージ治療にはあまり期待していなかったんです。だって、ウランバートルで受けたことがあるマッサージ、痛いばっかりであんまり効果を感じられなかったし。だから、このときも、まぁ、多少気がまぎれればいいやくらいに思ってたんです。
 
 
 
ところが!
 
 
 
部屋の奥に入って、ベッドの横に寝そべり、指圧されはじめてあらびっくり!うまい!上手!特に、このおばちゃん.....ぴったりちょうどいいとこ指圧してくれるし。ああ、極楽.....。痛いけど、痛いけど、でも、痛気もちいいってこういう事だぁ。ちょっと泣きそうになったさ。
 
 
 
痛くて痛くて、日本語でぎゃあぎゃあ「あたたたたた」「いたたたたた」「うたたたたた」って騒いでたもんだから、おばちゃんも面白がって、
 
 
 
「あんたぁ、どっから来たん?え?日本?はぁ、遠いところから来たねぇ。ここにも外国人が来るようになったかい。この間も一人日本人が来たよ。(←この日本人の人にマッサージがあることを聞いてた。)」
 
 
 
と話しかけてくる。もう一人の若い女性は、私を人間以外の別の生き物を見るような目で見ていた。
 
 
 
「うーん、あんた、こってるねぇ。何してたの?胃と腎臓と肺が弱ってるね。肺は寒さかなぁ。あと、首。。。」
 
 
「おおおお、わかるんですか。」
 
 
「あと、急激に体重でも落ちたかい?体がついていってないねぇ。ご飯ちゃんと食べてるかい?スープとか、ちゃんと食べないと。」
 
 
 
「.....(こっちでもご飯ちゃんと食べてるけど体重減ったんです。日本で私が肥えすぎてただけです。内緒だけど。)」
 
 
 
と。人体図を出しながら丁寧にいろいろ説明してくれたこのおばちゃん。実は新疆でマッサージ修行してたとか。マッサージ中のおばちゃん、目を閉じてたのに、ばっちりツボ指圧してた。ちょっとびっくり。うーん、人間の体って、どうなってるんだろう。それぞれの文化ごとの健康法とか。ちゃんと調べたら、おもしろいこと、いっぱいあるんだろうなぁ。とか、ごちゃごちゃくだらない事考えてたらあっという間に30分。ところが、45分にのばしてマッサージを続けてくれたおばちゃん。いい人だぁ。
 
 
 
今はお孫さんと一緒にこのマッサージさんを経営しているらしい。孫娘さんと二人掛かりでマッサージしてくれました。孫娘さんは今勉強中なんだって。電話番号知っている場合は予約して来てねってことらしいんだけど、今回は飛び込みさせてもらっちゃいました。営業時間は日によりけりらしいけど、毎日やってるよ!とのこと。
 
 
「こっちで何やってんの?え?カザフの装飾品の調査?おお、私も作るよお。」
 
 
と、興味持ってくれて色々持ち出してくれたおばちゃん。なんか、おばちゃんの顔、いい顔してたなぁ。^^
 
 
↑マッサージ屋のふたり
 
 
と、いうわけで、とってもいいところ見つけちゃいました!はまりそうです。ちなみに、あんまりにも痛い痛いって言ってたら、私の名前は「itaiさん」と命名されました。あーあ。
火, 04 7月 2017 13:48

かーちゃんが戻るまで

午前3時、慌ただしくなり、それから暫くすると何人かが外へ出て行った。
私の意識は、連日の早起き&移動で朦朧としていて、何かが起こっているのはわかったんだけど、体を起こし時間だけ確認してダウン・・・。
 
朝6時すぎ、さすがに何が起きたのか気になって起床。
マヤちゃん含め、家の女の子たちとお父さんがテーブルについてお茶を飲んでいました。
 
私「なんか、明け方騒がしかったけど、どうしたの?」
ま「姉さんが(マヤ旦那兄の妻)産気づいたの・・・」
 
ひょ~!?そういうこと?!
 
明け方、突然陣痛が始まり、お母さん(マヤちゃん旦那母)が付き添って、妊婦さんはそのまま郡中央の病院へ・・・ああ~、だから車の音が・・・
 
ぽかーんと座っていると、お父さん(マヤちゃん旦那父)が「君の旅はラッキーだねぇ!いいことあるよ!」と。ウルギーを旅していて、滞在先で妊婦さんが出産(病院に行く)のに遭遇するのは実はこれで3回目!新しい命の誕生を一緒に喜べるって、なんか嬉しい。
 
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写真は滞在先のお父さん(マヤちゃん旦那父)と、彼の孫(今回、この子の妹が産まれた)。
 
病院の方の様子は気になるものの、おかーちゃんが戻って来るまでは手仕事について特に何も質問もできない。
けれども、とにかく私たちはそこのお宅の手仕事ものを見せていただくことに・・・。
 
まだ夏営地に移動する前ということもあり、わざわざ倉庫から色々出してくれました。防砂壁に、織り紐・・・きっと天幕住居(キーズ・ウイ)の中はすごく賑やかに飾られるんだろうなぁと想像がつく。
 
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家の周りもうろうろしていると、家畜小屋以外に小さな小屋が・・・
なんだろ?
 
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なんと、その小屋はウマの蹄鉄を作る部屋でした。カザフ人は馬の蹄に蹄鉄をつけます。特に、秋以降は全ての馬の蹄につけるんだそうです。冬は雪が積もるので、馬が雪を掘って雪の下の草を食べやすくなるようにと、準備するのです。
 
「昔はこの家にたくさん馬がいたの。今は馬はいなくなってしまったけど、今でも蹄鉄は作っているよ~。」
 
なるほど?だから小屋が大きいのかな?
でもなんで、家畜が少なくなっちゃったんだろう。
 
 
他に何があるかな~とうろうろしていると、台所近くの天井をみてびっくり。
 
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穴が空いた骨だらけ!
なんだ?なんだ?なんでこんなに骨を溜めてるの??
こんなの他の地域でみたことない・・・。
 
すると、そこの家のおじいさん(83歳!)が、骨にまつわるこんなお話を教えてくれました。
 
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「むかし、あるところで、ある男が狩りに行くときに、奥さんが骨を40本袋にいれてその男に持たせた。
 
男はその袋の中身を知らされなかった。男は、狩りを終えて戻る途中で、その袋をあけてみた。
 
”なんだ?この骨は?”と、その骨の意味がよくわからなかった男は、そのままその骨を捨ててしまった。
 
その後男は、乞食に襲われ、服も、馬も、獲物も奪われ、ボロボロになり、やっとの思いで家に戻った。
 
奥さんは”あの骨を捨てなければ、お前の後ろに40人の人が見えて、お前はその乞食に襲われることはなかっただろう・・・"といった。
 
その後、人々は骨を尊重し集めるようになり、たくさん溜まったら山の綺麗なところ(人が踏み入れないようなところ)に持って行って、骨を置くようになった。」
 
だそうな。
骨はお守り?それにしても、この「40」という数字。40という数字は、カザフ人にとって「たくさん」を意味する数字だということはきいていたけど、40かぁ・・・。
 
このお話し、この地域に伝わるお話しなのか、カザフのお話なのか、よくわからず。
今度他のところに行ったときにきいてみようっと・・・。
 
夕方になると、お母さんが戻って来た。
どうやら、赤ちゃんは無事に産まれたとのこと。よかった~!
赤ちゃんは明日帰って来るときいて、みんな一安心。
 
「色々私に手仕事のことを質問しにきたんでしょう?悪かったね、明日は色々見せてあげるから」
 
すかさず、布がみたい!とリクエスト。
ということで、この家のお母さんが作った布をみせてもらうことになりました。
 
 
続く。
月, 03 7月 2017 13:44

憧れのボルガンへ

 
怒涛の1年だった2016年、その年末。
東京でおこなったカザフ手仕事展の会場で、私はあるカザフ人の女の子に出会いました。
 
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彼女の名前はマヤ(本名はメイラングル)。
マヤちゃんは、なぜか以前から私のことを知っていたそうで、お互い歳も近くすぐに仲良くなれました。
 
彼女の故郷は、バヤン・ウルギーのボルガン郡。ボルガンといえば、布地が見えないぐらいびっしり刺繍で埋め尽くす壁掛け布を作る地域です。手仕事がすごい!で有名な場所です。
 
い、行ってみたい・・・
 
夏にあなたの田舎にいきたいといったら、すぐ快諾してくれて、夏に会おうと約束をして別れました。
 
あれから半年。わたしは、本当にマヤちゃんの故郷に行けることになりました。
 
ウルギー市からボルガンまではおよそ300km。行きはマヤちゃんの実家のジープに乗って向かいます。まだ外が真っ暗な朝4時に出発。ね、ねむい~
 
朝5時ごろ、トルボ郡のトルボ湖に到着。5時ですが、朝5時ですが、繰り返しますが朝5時ですが、連絡もせずいきなり友人宅を訪れ「お茶をください」とドカドカと入りこみ、寝てる住民を叩き起こす我ら・・・。これが許されるのがカザフ社会。笑
 

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早朝にも関わらず、嫌な顔ひとつせずお茶を入れてくれたその家の奥様に感謝・・・。
子供たちは茶も飲まずに外で元気に走り回ってる・・・。
 
道中、車の中はマヤ家族で賑やかに。マヤちゃん、マヤちゃん父母、姉、弟、その友人?、旦那、息子、お姉さんのこども2人、親戚のおじさんとそのこども、そして変な日本人のわたし。5人乗りジープに13人・・・でも子供が4人だったからまだマシな方。


トルボを少し放れたところあたりから運転手がマヤちゃん弟にチェンジ。
え、なんかすごい若いけど大丈夫?え?この子何歳・・・?
 
 
ゆーっくり慎重にダートを進んでいく。途中降りて川で顔洗ったり、人の家でお茶もらったり、車がこわれて動けなくなったり、「タルバガンの道」と呼ばれるタルバガンだらけの平原で写真撮ったり、遊んだり・・・進んは止まり、進んでは止まり・・
 
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旅は急がず、焦らず・・・そして出発から12時間後、ついに目的地に到着~!やっほー
 
最初にお世話になった家はマヤちゃん旦那さんの実家。初めて訪れる家はやっぱりちょっと緊張・・・ついてすぐお肉が出てくるところがさすがカザフ。準備して待っててくれたんですって!やったー
 
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着いた時間は夕方だったのでちょうど搾乳がはじまった頃でした。お手伝いにいこう~とおもって小屋に行ってみると、あれ、ヤギしかいない・・・?
 
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恐る恐るきいてみる。「あのう、ヒツジは搾乳しないんですか・・・?」
 
すると、「うちはヒツジは殆どいないからね、搾乳しないの」とのこと。
すごく大きな小屋を所有しているのに、どうして家畜がヤギばっかりなんだろう・・・?ウシも少しはいるみたいだけど・・・
 
搾乳がおわると、仔畜と混ぜて再び放牧へ。日が落ちて暗くなった頃に母仔をわけて小屋にいれます。
 
夜はお茶と乳製品で軽くすませて就寝。わたしは持参した寝袋に入り込みます。カザフ人の夏営地は結構高いところに構えることが多く、時に標高2700m地点まで行くことも。夜寒いのは嫌なので・・・今年はイスカのマイナス20度対応の寝袋を持参!
 
ばさっと寝袋を広げたら、その家の女の子に「なにあの赤い袋・・・(←寝袋だって知らなかったらしい)」と呟かれ、変なものをみるような目で見つめられてしまいました。はは・・・
 
 
しかーし、寒い思いをすることなくしっかり寝るのは体力温存のためにとっても大事なこと。というわけで、ぐっすり・・・
 
 
の、はずだったんですが。
 
 
午前3時、家の中が急に慌ただしくなる。あれ?なんだ?この家はこんなに早くから起きるのか・・・?いや、まさか・・・・・?
 
 
続く
金, 08 8月 2014 10:56

サグサイ日帰り旅

8月3日。バヤン・ウルギー県サグサイ郡に、車で日帰り旅にいってきました。
 
行先は2ヶ所。
最初の目的地は、サグサイ郡のカク。
カクは、標高2600mを超える高い位置にあります。
万年雪が降り積もった山々がそびえたつ綺麗なところです。
 
 
 
カクには、友人が夏営地を構えています。
 
 
留学中に何度かお世話になったエルジャン一家のところにご挨拶にいきました。
電話もメールもせず、いきなり会いに行ったので、ちょっとびっくりされました。
 
エルジャン家の奥さん、バクシャが織をしてるところでした。
 
 
彼女が作っていたこの織り紐、去年私がエルジャン家にプレゼントした双眼鏡のお礼にと織られていました。
幅の広い紐を正確に縫うために、頭を使って慎重に織り進めます。
「夢にみちゃうくらいよ」とバクシャ。
 
2mの長さに達していたので、そのまま切っていただいてくることにしました。
いつかの機会に、また日本で展示したいものです。
 
エルジャン家でお茶とご飯をごちそうになって、すぐに出発。
もう一か所の行先を目指します。
 
サグサイ郡の郡央近くに、留学中大変お世話になったマナ一家が夏営地を構えています。
マナさんの家には、それほどたくさんの家畜がいないので、わざわざ標高が高いところには移動せず、
草の状態がよいところで夏を過ごします。
 
彼らの家にもまた、何の連絡もせず、突然訪れました。
車が彼らの家に到着し、私が車から降りるとすぐ、マナ家の子供たちが私に気づいて走り寄ってきてくれました。
 
なかでも四女は両手を広げてすっごい笑顔で飛びついてきてくれたのでした! 
来たことに対して、まさかそんなに喜んでもらえるとは思ってなかったから、彼女の心からの笑顔にこっちまですごくうれしくなりました。
その笑顔がみたくて、また何度でも来てしまう。
 
マナ家は子供が多く、その孫たちも多いです。小さな子供たちが、ウイの中をうろうろしてる。
みんなすごーくかわいいです。いい顔してる。
 
 
ベッドをみると、作りかけの刺繍布が立てかけてあります。
「先日嫁いだ三女に贈る布なの」と。
刺繍しているお母さんの姿はやっぱり綺麗でした。
 
 
この日は、ちょうどマナさんの次男の子供の成長を願う儀式の日でした。
1歳になった孫の足に、紐とヤギ(ヒツジ)の腸を結び付け、これをはさみできります。
切る人は、その家の家長であったり、客人であったり、歩くのがはやい人であったり。
紐を切るときに、「はやく歩けるようになりますように」と願いをこめて切ります。
 
 
このあとお祝いの肉を食べ・・・・満腹まんぷく。おなかが重くて転がりそうになる。
 
時間はあっという間に過ぎていきます。
泊まらずに帰るのが本当に残念だったのですが、「また来るね」と約束してマナ家を後にしました。
 
ウルギーに着いたのはすっかり夜。
サグサイではそれぞれ滞在時間は短かったけど、
久しぶりにみんなの顔をみれてよかった。とてもいい再会になりました。 
月, 28 7月 2014 06:46

夏がはじまりました

 

7月21日からモンゴルに来ています。私にとってはいよいよ夏がはじまった気分です。
23日からは、さっそくバヤン•ウルギーに。暑すぎず、寒すぎず、とても過ごしやすい時期にきました。
 
今回は、しゃがぁのボス(西村幹也氏)と一緒にまわることに。
2週間だけの短い滞在期間ですが、
期間中は田舎に行ったりウルギーで人の家に遊びに行ったりしようと思ってます。
 
土日には早速、アルタイ村にいってきました。
道中では、何回か止まってゆっくり写真撮影も。
いつもは乗り合いタクシーで行っていたので、こうやってゆっくり土地を見ながら移動するのは私も初めて。
いい写真もたくさん撮れました。
 
 
 
アルタイ村では、以前からお世話になっているお家を尋ねる事に。
私がウルギー市内でホームステイしていた家(クグルシンさん)の兄弟達の夏営地です。
 
 
クグルシンさんとその兄弟家族たちの集合写真です。
集合写真で、みんななぜか横一列に並ぶっていう。
ひとりひとりの顔が見えにくくなってしまいましたが。
 
彼等の夏営地は、アルタイ村のジャランガシと呼ばれるところにあります。
村の中心部から20-30km離れたところで、標高は2400m程度とやや高めです。
雨が降ったときは、セーターやらダウンやらを着ないと、寒いくらいでした。
 
朝の風景。放牧前のヒツジとヤギ
 
近くによってきたヤギ。ヤギの目って、ちょっと気持ち悪い!
 
ウシ(ヤク)の搾乳。
 
ヒツジの毛。今年は買い取り手がいないらしく、あちこちにごそごそと落ちてた。
欲しい人いるかな?
 
 
アルタイでの滞在は当初1泊2日だけの予定でしたが、
あちこち移動するより、ここでゆっくり滞在してじっくりと色んなものを見た方が良さそうだなと思い、
明日からまたしばらくアルタイに滞在することにしました。
しかも今回はボスが一緒。
今まで自分では気がつかなかった新しい発見があるかと思うと、今からとても楽しみなのです。
たーくさん勉強してこようと思います。
金, 12 7月 2013 01:06

カザフ牧畜民の夏営地

 

またまたアルタイ村に行ってきました。
行き先は、もちろんババイ家。今回は、夏営地の様子を少しだけご紹介します。
 
6月中旬以降、牧民さんたちは、夏営地へお引っ越しをします。
バヤンウルギー県は、全体的に高いところに位置していますが(最も標高が高いところでは4000mを越える)、カザフ牧民は高度差を利用した移牧を行います。
 
ババイさんたちも、高いところにお引っ越しです。
ババイさんたちの夏営地は、アルタイ村のサエハンボラクというところ。
標高2600~2700mのところに位置しています。
 

標高2600mを越える場所ですから......
夏とはいえ、長袖とかセーターとか着てないと肌寒いです。
おまけに今年はよく雨が降る年でなかなか暖かくならないと、
みなさん揃ってぼやいていました。
 
こちらの夏は日本の夏とは違って湿度がないのでカラッと気持ちのいい暑さです。
日陰に入ればひんやり涼しく、風が吹くとさらに気持ちいい。自然のクーラーというわけです。
 
サエハンボラクは水資源豊かで草の状態のいい、とてもきれいなところです。
草原は一面お花畑!歩いているだけでうきうきしてしまいます。
 

 
夕焼けも大迫力でした。空が広くて、雲のもくもくした様子がとても綺麗。
 


 
実は、最近こちらで口蹄疫が発生してしまい、一部の村と村の行き来が出来なくなってしまいました。3週間ほどは閉鎖されてしまうとか。アルタイ村も封鎖されている村のひとつですので、この夏はもう行けそうにありません。ちょっと残念。
 
 
最後に、余談ですが、今現在バヤンウルギー県内の村々では、今こちらでは、ウシさんがバタバタと倒れて大変な騒ぎです。村で予定されていたお祭りなどほぼ全面的に中止の状態。村と村の行き来が自由にできないということもあって、県央に入ってくる家畜の肉の値段は高騰しまくってます。ヒツジ一頭200,000tg(約14,000円)だったのに、突然300,000tg(約21,000円)に!大変だぁ。。。事態が早くおさまりますように。
金, 28 6月 2013 08:30

アルタイ日記〜帰宅〜

 

 
アルタイでの楽しい時間もあっという間にすぎて、いよいよ帰る日。ババイ家は、とにかくよく笑う明るい一家で、なにか面白い事がある度にケラケラと笑っていて(実際そんな面白くない些細な事であってもよく笑う)、そんな人達とさようならをするときは、やっぱり少し寂しい気もする。

朝、村に向かって歩き出そうとしたら、放牧に出発したばかりのババイさんが丘の上から
また来いよー!気をつけて帰れよー!」って、叫んでくれて、すごく嬉しかった。
 
 
夏にまた来れるといいなと思いながら、村に向かってアイジャンと一緒に歩き出す。
ママンゴラ(ババイ家冬営地)を出て歩く事1時間ちょっと。村に到着する。行きにお世話になったお宅にあがり、お茶を頂いていたら、ウルギーに行くタクシーが見つかったとの事。村で宿泊することなく、そのままその日にウルギーに帰る事になった。
 
行きは5人のジープに15人詰め込まれながら4時間移動という地獄のような状況だったけれど、帰りのタクシーの中はすかすか。私を含め大人は4人、加えて子ども2人という、ゆったりドライブになった。おかげで風景写真も(車の中からだけど)少しは撮る事ができた。
 
 
春のアルタイへ向かう道。夏のように綺麗な緑はお目にかかれなかったものの、これはこれで綺麗だた。
 
さて、車は想像以上に順調に進み、これは4時間と言わず3時間弱くらいで着いちゃうんじゃないか?!と思った。が。
 
がったん!
 
突然、すごい変な音。え?なに?
 
車が止まる。え?なに?なに?
 
運転手も何が起きたかわからない様子。どうやら、部品の何かが、外れて落ちた??
すぐに車のボンネットをあけて、チェック。こっちの運転手は車が壊れても自分でちゃんと修理できてこそ運転手。とはいえ、なかなか原因がわからず、しばし足止めをくらってしまった。まぁ、これもモンゴルらしいのか。あまり焦らず、あまり時間を気にしすぎず、とりあえず直るのを待つ事にしよう.....。



 

いつかは動くだろうと待つ事1時間半。遂に車は再び動き出した!この待ち時間が異様に寒かった......。春のモンゴルはまだまだまだまだ、寒い。砂埃をおもいきりたてて、ウルギーに向かう最後の一本道を一気に突っ走り、やっと到着。ああ、疲れたー!
 
クグルシン家についてすぐにバタンと床に寝転がってしまった。ああ、疲れたー。でも、疲れてもまた行きたくなってしまうのが田舎のいいところ。夏にアルタイに行けるように、そのとき色んなもの見れるように、ウルギーにいる間にしっかり準備せねば。
 
***
 
春にアルタイに行ったときに見聞きしたものの話は、これでおしまいです。更新にだいぶ時間がかかってしまい、季節はすっかり夏になってしまいました。明日からそのアルタイにまたしばらく行ってこようかなと、そんな計画をたてている、そんな近況であります。それにしても、滞在二年目は去年より速く時間が過ぎている気がする......。
 
 
 
金, 28 6月 2013 07:06

アルタイ日記〜家畜〜

 

 

フィールドワーク中、普段は辞書以外の本を持っていかないようにしている。荷物になるし、本を読むより、その場で見れるモノをみる時間の方を大事にしたいからだ。
 
でも、4月にババイ家に行ったときは、たまたま出発前に読もうと思っていた本を鞄の中に入れていた。松原正毅先生の『遊牧の世界 トルコ系遊牧民ユルックの民族誌から』(平凡社)という本だ。この本は、松原先生が遊牧民ユルックたちと共に過ごした1年間の中で見聞きしたユルック達の遊牧生活について書かれている。本を読めば読むほど、自分のフィールドワークが全く成っていないことを思い知り恥じるばかりだ。でもこの本は、牧民さん達の生活や牧民さんと家畜の関係のどんな部分に気をつけて観察すべきかということを、たくさん教えてくれた。
 

そこで、この本を参考に、今回ババイさんに家畜について色々と質問してみた。
 
カザフ人は、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダを家畜としてみなしていて、ババイ家にはラクダ以外の家畜がいる。
 
私の場合、いつもヒツジとヤギの小屋に入ると、沢山の家畜の数に圧倒され、みんな同じように見えてしまう。ヒツジがわらわら、ヤギがわらわら。300頭以上になると、なかなか頭が働かず、ぱっと見て見分けることはほぼ不可能に近い。でも、人間と同じで、家畜一頭一頭にもちゃんと特徴があって、牧民さんはそれを認識して個体識別している。例えば、家畜の
 
→カザフ語で、コヤン•コラックという。ぴょんと、うさぎみたいに上向きなお耳。
 
→カザフ語で、サルパン•コラックという。平べったくまっすぐに伸びてるお耳。
 
→カザフ語で、モルタック•コラックという。やや下向き、垂れ下がっているお耳。
 
自分たちで家畜の耳を切ることもある。
 
→カザフ語で、サラ•ティスィクという。手前の切り目が長い。
 
→カザフ語で、コマラスカ•エンという。中央に切り込みのある形。
 
また、家畜の毛の色
 
→右側の首が黄色のヒツジは、サル•モイン/左側の全体が赤みがかった茶色のヒツジは、クズル
 
→この毛色をカザフ語で、コンゴルという。
 
→この毛色をカザフ語で、ククという。
 
→真っ黒子やぎ、カザフ語で、カラ•ラックという。
 
 
他にも、角の形や、カラダの部分的な色の特徴、性別や年齢などで細かく分けられ識別されるという。よーく見ると、顔もなんだか特徴的だったり。顔にもそれぞれの性格が表れていかのよう。月に数日通っている程度では、なかなか家畜を見分けられないけど、毎日毎日こうやって家畜と接していると、ちゃんと家畜それぞれのことがわかるようになるんだろうなぁ。うーん、そういう彼等の目に近づくことは、まだまだ全然、できていない。
 
 
 
牧民さんは、家畜にかけ声をかけてその行動をコントロールしようとするけど、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ四畜それぞれに対してかけるかけ声は、それぞれ異なるそうだ。
 
例えば、放牧の際に、家畜にかけるかけ声。
 
ヒツジ•ヤギを動きを止めるときは、アイチ!アイチ!
進めるときは、ジュギジュギ
 
と声をかけていた。ただし、このかけ声は人により、家により、異なるようだ。かけ声のボリエーションは多様で、その他に、
 
ヤギを呼ぶときは、チョコチョコチョコ
 
ウシに餌を与えるときは、アオホウアオホウ
 
と、かけ声をかけるという。
 
搾乳の際に、乳を出しやすくするために、家畜にかけるかけ声は、どこに行っても割と同じで、
 
ヒツジには、コスコスコス
ヤギには、チゲチゲ(ジゲジゲ)
ウマには、グロウグロウグロウ
ウシには、グルグルグル
 
と、かけ声をかける。
 
 
こうした家畜を扱うための名称、知識、技術などは、長い時間をかけてカザフ牧畜民のなかで受け継がれて来たものであり、彼等の大切な財産であり、今日の牧畜生活に欠かせないものなのだ。こうした家畜に対する話をひとつひとつ彼等から聞く事によって、ちょっとずつ彼等の目に近づければいいなと思う。こうやって、牧民さんと接することができる時間を無駄にしないようにせねば......。

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