土, 25 5月 2013 03:40

アルタイ日記〜放牧〜

 

 

すっかり5月になってしまいました.....。アルタイいってから1ヶ月以上経っちゃった。
が、気にせず書きます。今回は、ババイさんと放牧に言った日のこと。
 
***
ババイ家に来て3日目のこと。その日、タルガットの様子がいつもと違った。普段は着ないようなスーツを着て、おめかししてる。
 
 
どうやら、近くで開かれる茶会に招待されたらしく、今日は放牧には行かないとのこと。変わりに、放牧には、ババイさんが徒歩で行く事になった。
 
 
徒歩で行くなら!と思い、その日はババイさんと一緒に放牧についていく事に。朝11時頃、小屋からヒツジとヤギを出して、いざ出発!
 
 
 
 
「山に登るから、しっかりと暖かい格好をしなくてはダメだよ」と言われ、しっかりダウンジャケットを着て行く。ババイさんは、手に双眼鏡を持っている。ババイ家では、放牧のために大きく2つのルートを使っている。この日は、向かいの川を渡り、山を登る事に。この日は太陽は出ていたけど、風が大変冷たかった。少し上の方に行くと、綺麗な雪山が見える。本当にいい景色。
 
 
ちょっと登っただけで、すぐに息が切れてしまう私。ヒツジやヤギは、そんな私におかまいなくさっさと進む。朝は速く草を食べたいからっていうのもあって、やや歩くのが速いらしい。「(ヒツジとヤギは)私より全然足が細いのに、なんて健脚なんだろう」と、ぼそっとつぶやくと、ババイさんが笑った。
 
 
放牧の際は、家畜にしっかり草を食べてもらって、太ってもらわないと困る。だから、家畜に付き添う人間は、ただ家畜と一緒に歩いているだけではダメで、時々家畜に声をかけたりして移動のスピードを調整する。ずっと歩きっぱなしというわけではなく、むしろ、ゆっくりと座っている時間の方が長かった。
 
 
「アイ!アイ!座れー。なんてせっかちなやつらなんだ。ゆっくり草食べなさい。」
 
 
と、ババイさんは石に腰をかけながらぼやく。出発して暫くすると、家畜の群れが徐々にバラバラになっていく。ヤギはさっさと先頭を切って進んでしまう。対して、ヒツジはのんびり草を探しながら歩く。
 
 
それにしても、辺り一面を見渡してみると、ちょこちょこと黄色の草が生えている程度。こんなんで、家畜はお腹いっぱいになるのだろうか.......。
 
 
「ヒツジとヤギは、こんな草を食べるよ。これも、食べる。」と、ババイさんは私の疑問にも丁寧に答えてくれた。
 
 
 
放牧地に向かうと、他の牧民さんたちも家畜を放牧に出しに来ていた。近くによって挨拶を交わす。会話の内容は、近所で茶会があったとか、家であった出来事とか、うちの家畜は〜とか、そんな感じ。暫くぼーっと話をしていると、ババイさんがぼそっと、
 
 
「あ。家畜が混ざりそう。」
 
 
ぱっと家畜を見ると、離れていたうちの家畜が別の群れに急接近していた!一緒に話してた牧民さんの家畜と混ざりそうになっていたのだ。家畜が混ざると大変!あとでわけるのにひと苦労。ああ、どうしよう....!!!
 
 
幸い、牧民さんはウマで放牧に来ていたので、あっという間に群れに追いつき無事に家畜の群れを引き離すことができた。
 
 
 
 
ああ、よかった。するとババイさん、にこにこしながら、
 
 
「わはは、二人も(あたしとババイさん)一緒に放牧について来てて、家畜が混ざったらこりゃぁ恥ずかしいね。オヤターイ。」
 
 
......ババイさん、のんき。笑
 
 
その後も丘を登ったり降りたりしながら、家畜のごはんに付き添う私たち。ぼーっと眺めていると、なんだか勝手に歌でも歌いたくなってくる。そのくらい、いい景色。知ってるカザフの歌を口ずさんでみる。アケメ(父に)という曲だ。(ナウルズについて書いた時に、その歌のビデオをupしてます。)するとババイさんも一緒に歌い出す。なんて気持ちがいいんだろう。
 
 
 
 
ババイさんは、いろんなこと質問して来た。日本の生活のこととか。家畜がいないのに、生活は大変にならないのかとか。地震とか津波があって、怖くないのかとか。
 
 
自分も、ババイさんに質問してみた。主に家畜のこと。家畜にかけるかけ声のこととか、家畜の特徴のこととかを聞いてみた。(この話の続きは次回に。)ババイさんの家にいるヒツジとヤギは、300頭ちょっと。そのうち、50頭はお兄さん(クグルシンさん)の家畜で、あとは全部ババイさんの家畜だという。「そんなにいっぱい家畜がいるなんて、お金持ちですね」と言ってみた。すると、
 
 
「僕たちにとって、家畜は財産なんだ。ご飯にもなるし、売ってお金にすることもできる。長女(アイジャン)が2年後には大学に進学する事になる。そのときに、アイジャンが望むようにしてあげられるように、お金が必要になれば、この家畜を売ってお金を工面するつもりさ。だから、家畜は大切なんだ。」
 
 
そう話していたときのババイさんの顔は、娘に幸せになってほしいと願う、本当に優しいお父さんの顔だった。
 
 
ぐるっとまわってまわって、午後2時をまわったころ、ヒツジとヤギを残したまま、一旦家に戻ることにした。家に向かう道の途中で、突然ババイさんが「あ。」と言って立ち止まった。
 
 
彼の目線の先をみてみると、丈の短い草が生えている。でも、その草の色が......緑だ!
 
 
 
 
「いやぁ、緑が出て来たねぇ。もうすぐ暖かくなるだろうねぇ。」
 
 
と、やっぱりにこにこしながら、草を見ていた。
それから家に戻って、私は少し疲れてしまい、ゆっくりお茶を飲んでくつろいでいると、ババイさんがいつの間にかいなくなっていた。午後4時頃の事だった。ババイさんは、疲れているだろうと、私を気遣ってだまって放牧地に戻ったのだ。
 
 
最後まで、一緒に行けなかったのは残念だったけど、ババイさんと二人で放牧にいって、家畜に関する色んな話を聞く事ができた。これについては、また次回。
月, 22 4月 2013 08:28

アルタイ日記〜一日〜

 

今日は、インターネットカフェに来てるので、思い切ってもうひとつ記事更新!
 
***
 
アルタイ村で迎える二日目の朝は、少しのんびりはじまった。とはいえ、一家を支える奥さんの朝は、はやい。7時ちょっと前、まだみんなが寝息をたてて寝ていたときに起き上がり、すぐに火をつける準備をはじめるマイグルさん。暫く外で作業をしていると、大きな洗面器に小麦粉を大量に入れて運んで来た。どうやらバオルサックを作るらしい。バオルサックとは、カザフ人が朝昼と茶を入れるときに一緒に食べる揚げパンみたいなものだ。(バオルサックの詳細は、こちらへ。)バオルサックを作るときは、小麦粉を寝かせる必要があるから、大抵朝から作る準備をはじまる。
 
 
8時をすぎた頃から、なんとなく、みんな目が覚めて来たようで、9時頃には朝の茶を入れて飲み始める。10時近くになって、ババイさんとタルガットが家畜を入れている小屋に向かう。朝、数頭のヤギの搾乳を行うため、搾乳するヤギの首を縄で繋げていたのだ。
 
 
↑手前、繋がれているヤギたちを搾乳する。
 
 
この時期はまだ搾乳はあまり本格的には行わない。この時期は、仔畜を育てることが優先される。さて、その仔畜は?というと、ん?姿がみえないけど、声が聞こえる。あれぇ?
 
 

あ!
 
奥の小屋に別に入れていたようだ。母畜と仔畜を一緒にしてしまうと、仔畜が母畜の乳を吸い尽くしてしまうため、人間が得られる乳がなくなってしまう。そのため、このように母子を分離させて管理するのだ。人間の搾乳が終ると、いろいろ母子対面のお時間。おお、母を呼ぶ仔畜の鳴き声と子を呼ぶ母畜の鳴き声が、大合唱を起こしている!扉をあけると、ものすごい勢いで仔畜が飛び出してくる!お母さん、どこ?!仔畜は母を探すのに必死だ。なかなか母を見つけられない仔畜には、人間がちょっとだけ、お手伝い。
 
↑母羊を探すタルガット
 
ちょこっとビデオもどうぞ。→http://youtu.be/dd3h6ffi1lk
朝の光景「仔畜飛び出す」
 
 
仔畜に乳を与え、お腹いっぱいにしたところで、時刻は11時を少しまわっていた。いよいよ母畜を放牧に出す。仔畜はまだ一緒に放牧についていけるほどの体力がないということもあり、お留守番。さあ、ここで母と子を分離させるのが、ひと苦労。扉に人間が立って構え、母畜と去勢家畜など放牧に連れて行く家畜だけを外に出し、仔畜をなんとか出さないようにブロックするのだ!仔畜のスピードが速いか、人間の瞬発力の方が勝るか!
 
 
数頭はうまく外に出てしまうものの、放牧に行く前に外で捕まえたりもする。それでもなんとか無事に母子をわけて、さぁ、出発!放牧には、タルガットが馬でついていく。他の家の家畜と混ぜないため、また、家畜にバランスよく草を食べさせるようルートや放牧時間などを調整するのだ。
 
 
家畜を放牧に出すと、女性には家の仕事が待っている。朝はやくマイグルさんが練っていた小麦粉をこれから細かく切り分けてバオルサックを作るという。この頃、ようやくアイジャンも起床。マイグルさんとアイジャンで、バオルサック作りをする。
 
↑これがバオルサック
 
 
バオルサックが作りおわってからも、石炭出しや家の掃除、水汲み、家畜の小屋の掃除や、仔畜への餌やり(草を与える)など、家に残った人間には仕事はたくさんある。この日は合間をぬって、髪を洗ったり洗濯をした。
 
 
そうこうしているうちに時刻はあっという間に15時を過ぎる。放牧にいったタルガットがお茶を飲みに戻ってくる。タルガットは、お茶を数杯飲むと、また忙しそうに外に出て行ってしまった。仔畜の餌やりを手伝いにいったのだ。この家は人が少なく、労働力が足りないため、家族みんなで協力して仕事を行う。タルガットは、16時すぎにはまた家畜のほうに戻ってしまった。
 
 
夕方18時頃、家畜が放牧から戻ってくる。家畜を小屋に入れると、再び仔畜とあわせて仔畜に乳を与え、再度分離させる。分離する作業、子羊はまだしも、子やぎが半端なく面倒くさい。
 
 
子ヤギのほうが子羊より好奇心旺盛で、身軽であるため、ぴょんぴょんぴょんぴょん、それはもううんざりするほど勝手にあちこち飛び跳ねるもんだから、捕まえるのにひと苦労.......。あんなに可愛いなぁって思ってた子やぎが、憎たらしくて仕方なくなる。捕まえて締めてやる!!!!!!!(怒)
 
↑憎たらしい子やぎ、そのいち

↑憎たらしい子やぎ、そのに
 
まるで、全力で鬼ごっこしてるみたい。小学生の頃だったら、毎日鬼ごっこしてたら、まだあんまり疲れなかったかもしれないけど、この歳(まだ25歳だけども)にこれだけ激しい追いかけっこを毎日するのはしんどかった......。牧民さんの体力、おそるべし。
 
 
こうして、家畜の世話を終えたのが20時をまわったころ。この後、21時頃から夜ご飯を食べ、さらにお茶をのんだ。ちなみに、この日の夜ご飯は、クジェ(麺入りのスープ)でした。(クジェの詳細は、こちらへ)
 
 
やっと寝床に入ったころ、時計は23時になっていた。一日中走り回ったり、力仕事して、すごい疲れた...............。日頃の筋肉トレーニングを怠ってはいけないなと思いながら、この日はいつの間にか深い眠りについてしまった。ぐう。
 
 
つづく
月, 22 4月 2013 07:47

アルタイ日記〜到着〜

こんにちは。ケステの更新がかなり不定期になっています。ごめんなさい。ここ最近、こちらでは連日強風が続いております。強風の前後はインターネットの繋がりが特に悪く、なかなか更新できない状態にあります。かならず更新しますので、気長に待っていただけると、嬉しいです。
 

 

***
 
アルタイ村について、一晩があけた。外は、すごくいい天気だけど、寒い。太陽は出ているけど、外に出るときはダウンジャケットを羽織らないと、ひんやりとからだが冷えてしまう。朝起きて、お茶をのみ、パンとバオルサックをかじり、一段落したとき、泊まった家の旦那さんがバイクでアイジャンの家まで送ってくれると言ってくれた。有り難い。
 
二台のバイクが玄関でスタンバイしていた。アイジャンは旦那さんのバイクに、私は旦那さんの友人のバイクに乗って出発する。アルタイ村は小さな村なので、バイクであっという間に村はずれに出てしまう。村を抜けると、すぐ一面に大きな大きな雪山が見える。アルタイ山脈だ。うわぁ、なんて綺麗なんだろう。
 
バイクで冷たい風を切りながら、一気に走り抜ける。目の前に広がる綺麗な景色に心を打たれて、なんとかシャッターを切ろうとするものの、全てをすっぽり包んでしまうような景色の全てを写真に収めきれるはずもなく、必死に撮った写真もなんとなく味気ない。せめてしっかり目に焼き付けておこうと、運転手の背中からがんばって顔を出す。
 
 
 
 
山をみていると勝手に笑顔になってしまうから、ふしぎ。すごいパワーだとおもう。山のゆったりとした流れが、いつまでもみていたいって気分にさせる。草の色は黄色。ここが一面緑になる時期はまだまだ遠い。この道の草が緑のときは、もっともっときれいなんだけどなぁ。それにしても、わたしのバイクの運転手さん、ちょっとスピード飛ばし過ぎ......手がガチガチに凍えて動かなくなってしまった。(後で聞いた話だけど、彼は中学3年生だったみたい。無免許....。こっちではたまに小学生がバイク乗ってるの見るから本当にびっくりする。)
 
アイジャン達が遥か後ろに小さく見える。もうちょっとゆっくり進んで.....と言おうとしたとき、アイジャンの家が前方に見えてきた。30分弱のドライブはあっという間におしまい。アイジャンの実家、ママンゴラに到着する。
 
 
ママンゴラについてすぐ標高をチェックする。ママンゴラの標高は2300m。うーん、寒いわけだ。家の中から人が出てきた。アイジャンのお父さん、ババイさんだ。10ヶ月ぶりの再会、すぐに握手を交わす。私と握手を交わすとすぐに、娘をぎゅーっと抱きしめる。ババイさんは、アイジャンのことが本当に大好きだ。アイジャンのお母さんも出てくる。マイグルさん。すっごい細身なのに、すっごいよく働く元気な人。
 
 
アイジャンの家は、4人家族。ババイさん、マイグルさんと、アイジャンの弟のタルガットがいる。タルガットは学校には行ってない。人手が少なくて困っている両親を助ける為に、学校を辞めて家で放牧のお手伝いをしている。毎日毎日、家畜を放牧に連れて行くのは彼の仕事だ。
 
 
 
家につくと、アイジャンはなんとなく、安心した表情になった。「やっぱり、自分の家が一番ラクでいいよ。」という。その気持ちは、なんとなくわかる。やっぱり「家」ってすごいなぁって思う瞬間でもある。
 
外に出ると、小屋から高いトーンの鳴き声がきこえてくる。産まれて間もない仔羊と仔やぎ達の声だ!3月に出産のピークを迎えたらしく、今は落ち着いているらしい。
 
 
こうしてみると、家畜の幼稚園みたい......
まぁまぁという鳴き声が可愛いけど...仔畜の世話は色々と大変なんだよなぁ...
 
 
到着した初日は、疲れていたということもあってなんとなくからだを休ませながら過ごした。この数日間で、何が見れるか.....
 
 
つづく
木, 11 4月 2013 08:19

アルタイ日記〜出発〜

 

4月はじめにバヤンウルギー県アルタイ郡にいってきました。今回から、アルタイで見聞きしたことを少しずつ更新していきます。少し文章を多めに、旅の様子を綴ってみたいと思います。
 
 
アルタイ郡は、私が普段お世話になっているホストファザーのクグルシンさんの故郷です。今回はクグルシンさんの弟さんの”ババイさん”の家にお世話になりました。ババイさんには、二人のお子様がいて、長女のアイジャンは県央の学校に通う為、普段はクグルシンさんの家に居候してます。ちなみに、ババイさんの家には、去年の6月も訪問していて、このblogにも夏営地への移動の話しなどを書きましたので、宜しければご覧下さい。)
 
 
***
 
それは、ナウルズの時のこと。アイジャンが「もうすぐトクサン(休み期間のこと)になるから実家に帰ろうと思うんだけど、姉さんも一緒に行く?」と聞いてきた。4月はやることが多くて、最初はあまり乗り気ではなかったけど、アルタイは景色もいいし、なんとなく、気分転換にいってみようかなと思い、結局行く事に。
 
 
アルタイ行きのタクシーは、あまり本数が多くなくて、市場に行っては尋ね歩きながら探す。4月4日木曜日の午後、タクシーが見つかったので、出発する事になった。15時頃、家にタクシーがやってくる。田舎行きのタクシーは、ロシア製のジープかワゴン。アルタイは県央から120kmほどの近いところに位置しているのでジープで向かう。移動時間は平均4時間。もちろん、モンゴルなので、道中いつ何が起こるかはわからない。時間は計算しない方がいいのは重々承知の上での話しだ。
 
 
さて、運転手込みの5人乗りのジープに、私たちが乗ろうとしたときには、すでに先客が.....。前の座席に運転手と大人1人、後部座席に子ども3人と大人3人が既に乗っている。え、どうやって乗れっていうの....。
 
 
なんとか狭いスペースをあけてもらったけど、それで1人分。結局アイジャンが私の膝の上にのって移動することに。お、重い。私より遥かに体重が重いであろうアイジャンがどっすりと私の膝の上に座り込む。出発3分でもう足がジンジンしてくる。
 
 
これで4時間耐えるのは、ちょっと無理なんじゃないか?と思ったとき、横に座ってたおばさんの口から残念な一言がぽろりと漏れる。
 
 
「これからまだ増えるわよ」
 
 
え”。一体どうなってしまうんだろう....?5人乗りのジープにすでに大人7人と子ども3人が乗っているというのに。結局その後ウルギー市内をぐるぐると2時間もまわり、さらに大人1人子ども4人を乗せ、一台のジープに15人詰め込まれた。まったく、景色をたのしむどころじゃない。運転手は、運んでやるんだからいいだろうって顔してる。「くそう。金ばっかり取って!」っと、アイジャンがぼそぼそと文句をこぼす。午後17時30分、ようやく車はウルギーを後にして南へ進む。
 
 

★途中下車のときに。今回はこのジープで移動でした。


アルタイまでの道の状況は他の地域に比べればまだいい方だけど、それでも自分の座るところを確保するのがやっとの状況の中、4時間の移動は地獄以外のなにものでもない。結局、隣にいたおばさんが前に行き、アイジャンが隣に座り、アイジャンのかわりに小学校3年生くらいの男の子を乗せて移動することになった。
 
 
わたしの左横に座ってたおじさんは、こころよく別のカザフ人の女の子を膝上に乗せてたけど、あの子、絶対60kgはあっただろうな。一瞬私の上にも乗ったけど、無理!!!!と思って、すぐにどいてもらった。さらにその女の子の上に、小学校6年生の女の子が座っている。3人重ねだ。おじさんの優しそうな顔が徐々に険しい顔になっていったのが、内心ちょっとおもしろかった。
 
 
車の中からはいろんな会話が聴こえてくる。カザフ語だけじゃなくて、モンゴル語も聴こえてきた。一番左端に座ってた女性はモンゴルの民族衣装を着ている。アルタイに住んでいるモンゴル人らしい。そういえば、アルタイ村ではモンゴル人が歩いているのをよく目にする。男性も女性も、民族衣装を身にまとっているから、すぐわかる。その彼女の子ども達が、5人同乗していた。うち3人は、後ろの荷物と一緒に混ざっている。小さい子どもは、荷物と一緒に跳ね上がる度に、きゃきゃと楽しそうに騒いでる。うーん、子どもになりたい。
 
 
★ぎゅうぎゅう詰めの移動も、楽しい旅に変えてしまうモンゴルの子ども達。


 

助手席にはカザフ人のからだの大きなおばちゃん2人が押し込められた。助手席のドアは、道ががったんごっとん大きな窪みに入る度に、自動ドアのようにバーーーーーンと開く。いやいやいや、危険すぎるでしょう。それでも、性格が大らかなおばちゃん達は文句ひとつこぼさずゲラゲラ笑いながら、ドアが開く度に力強く思い切り引っ張って閉める。

 

 

 

18時近くになって出発したので、暗い中での走行となった。あんまり車に強い方ではないので、酔わないように意識を保っているのに必死だった。がたがた道は当たり前。崖脇を通ったり、溶けそうになってる氷の河を渡ったりと、難所は盛り沢山だ。それでも、ジープは大きなエンジン音を響かせながら進む。


 

 

突然、アイジャンが寒い寒いと泣きそうな声で訴えてくる。一番右端に座っていたアイジャン。脇の扉には大きな隙間があって、その隙間からかなり冷たい風が入ってきていたのだ。生憎の前日の雪のおかげで、風は普段より一層冷たい。仕方なく、着ていたダウンジャケットを脱いで、扉を塞ぐのに使わせる。
 
 
私は薄いジャケット一枚になり、今度は徐々にこっちのからだが冷えていく。アイジャンと、斜め前にいた小学校6年生の女の子と手をつないで暖め合いながらやりすごす。この小学校6年生の女の子は、一人でウルギー&アルタイ間を行き来しているという。この子はカザフ人だけど、モンゴル語も話せるし、英語も勉強しているらしく、いろんな言葉で話しかけてくる。
 
 
こんな子どもも一人で移動できる。周りの大人が、子どもを助けてあげるのだ。子どもだけじゃなくて、大人同士でも声をかけあって、助け合う。よくわからない日本人の自分にだって、とても親切にしてくれた。なんだか安心して旅ができる。今回はそのまま突っ走ったけど、途中で下車して道中の家庭でお茶を飲む事もある。(その場合、親戚の家だったり、友人の家だったりすることが多い。)運転手も、すれ違う車が知り合いの車だったら、車を止めてのんびり挨拶を交わす。故障してる車があったら、止まって援助する。ここでは、人々は変に時間に捕われることなく、その場の状況にあわせて焦らずゆっくり進む。ジープでの旅は疲れるけど、でも、とても楽しい。
 
 
気がついたら時刻は21時30分をまわっていた。前方にアルタイ村の光がうっすらと見えてくる。村の中に入ると、まず助手席のおばさん達が降りていく。とくにさようならを言う事もなく、さらっとどこかへと行ってしまう。私はやっとアルタイに着いたのが嬉しくて、思わずにやにやと顔がゆるんでしまう。くるっと左を向くと、モンゴル人のおばさんとぱちっと目があう。私はよほどアホっぽい顔をしていたのだろう。私の顔をみた瞬間、それまでずっとだんまりだったおばさんが、ゲラゲラと笑い出す。それにつられて子ども達もゲラゲラと笑い出す。私もつられて笑ってしまう。ほっとした瞬間だった。
 
 
車を降りたとき、ものすごく冷たい空気にびっくりしたけど、それよりも頭の上に広がってた綺麗な星空にもっとびっくりした。手はひんやり冷えきってたし、足はガクガクいってたけど、でもその星をみただけで、まぁいっか、って気分になってしまう。アイジャンの家は、村からに5kmほど離れたところにある。この日はもう真っ暗になっていて、徒歩で移動するのは危険すぎるので、村の親戚の家に泊まる事になった。お肉と麺スープを出してもらい、暖まってから、アイジャンとふたり同じベッドに潜り込んでぱたりと寝る。.....ぐうぐう。

 

 

土, 03 11月 2012 04:10

テゼック拾い

今回は、「テゼック拾い」について紹介します。
 
 
まずは「テゼック」について簡単にご紹介したいのですが....。
 
 
テゼックとは、これです↓じゃーん!
 
 
乾燥した牛の糞の事です。なぜこれを拾うのかというと、テゼックはウルギーのような木の少ない乾燥地域の「大事な焚き付け燃料」だからです。草をいっぱい食べた牛から出た糞は、カラカラに乾燥すると、草と変わらないかのように良く燃える燃料となるのです。
 
 
勿論、火をつけるのに石炭を使う家庭もありますが、石炭はお金もかかるし、出てくる煙も汚い。それに比べてテゼックはそこら辺に落ちてるからお金かからないし、出す煙も汚くない。わお!牛さんって、とってもエコ!^^
 
 
テゼックはよく燃えるに加え、しっかり乾燥したものを燃やしてつけた火は暖かい。しかも、燃えカスに熱が残るので、炎が消えてしまってもテゼックの燃えカスの上に新しいテゼックを足せばマッチを使わずともあっという間に火がつくのです。すごい便利!
 
 
ガスや電気によって火をつけない牧民さん達にとって、テゼックは無くてはならない生活必需品なのです!ですが、このテゼック、厳冬期(1~2月)には集められなくなります。理由は色々ですが、第一に雪が降り積もり牛が得られる草の量が減ってしまうため。また、マイナス40℃〜50℃にもなると人間にとっても外での長時間の作業は厳しいからです。
 
 
そのため、今!!!!この時期に冬に備え、テゼックを拾いに行かねばならないのです!!!!ものすごく大事な仕事なのです!と、いうわけで、前回(10月)のサグサイ滞在中は、お世話になっているマナ家の三女アゲリカと一緒に毎日テゼック拾いに出かけてました。
 
 
*****
 
「はい、この袋持っていって!」とアゲリカに手渡されたのは、容量10kgほどのずた袋。これをもって、さぁ、出発!
 
 
↑テゼック拾い中のアゲリカ。
 
 
とりあえず、家の近くをうろうろ。草原には、牛の糞がたくさん落ちてる。どれでも拾い放題!ただし、問題は、ちゃんと乾燥してるかどうかを見分ける事。おそるおそるテゼックらしき牛の糞を蹴り上げてみる。ん!コツン、カツンって音がした!これは大丈夫!ん?グニャ?これはダメ....。だんだん、蹴らなくても見た目で判断できるようになってくる。なんとか、一袋集めた!よし、この調子で、もう一袋....。
 
 
最初の頃は、余裕があったんです。「あの外国人、サグサイ村に何しに来たのかしら?」って人が聞いたら「テゼック拾いの修行にきたんだろう?」って噂になるくらい、上手くなってやる!!!!と、思ってたんです。(あとでこの話をカザフ人にしたら、めっちゃ笑われた....。)
 
 
でも、1時間経過し、2時間経過し、3時間経過し.....だんだんお腹がすいてきて.....3袋目を集め終わったくらいで、もう限界だ!!!と、叫びそうになったり.....。タイミングよくアゲリカが「じゃ、そろそろ終わりにしよう!」と声をかけてくれて、ああ、助かった!
 
 
 
「アゲリカは、何袋集めたの??」と聞くと、10袋集めたよ!とるごい(私の事)は?」と聞かれてしまった。ガーーーーーン!!!10袋!?あたし3袋しか集められなかったよーーー!(泣)
 
 
↑拾っては積み上げ、拾っては積み上げ.....。
 
 
しかもアゲリカは、途中で携帯いじりながら、べちゃくちゃ友達とおしゃべりまでしてたのに....。子どもの頃からの積み重ねか。素晴らしい......。感心してしまいました。
 
 
*****
 
10月下旬、県央(アイマグ)のクグルシン家に戻ると、こちらでもテゼックを拾いに行こうと話になっていました。当然、同行したいと名乗り出ました!これは、修行の成果を見せる時だ!
 
 
で、とある平日の朝。クグルシン家の2人と一緒に、テゼック拾いに出発!県の中心から30kmほど北西へ向かった平原で、拾い集めることになりました。
 
 
↑こんなところ。夕日に照らされて黄金色にヒカル草はとてもキレイだったケド.....。
 
 
ところが、ここ、サグサイみたいにテゼックが沢山落ちて無い!!!なんでーーーー?!(あとで、その地は冬営地だっていうことと、県から近いため他の人も拾いに来るっていう理由で少ないのだと知った。
 
 
この日、私に渡された袋は、容量20kg......集めても集めても、全然袋が満たされない。一方、妹分のジャナルは、あたしがやっと3分の1集めた頃にもう満タンにテゼックを集めきって、早くも2袋目に。
 
 
いったい、どうやったらそんなにはやく集められるんだろうか.....。あのサグサイでの修行は、なんだったんだぁ.....。全然袋がいっぱいにならない.....。あまりの私の鈍さにしびれを切らしたのか、遂にジャナルが「姉さん、一緒にまわろう。」と言ってくれました。
 
 
すると、気がついた。あたしの視界はせいぜい前方90度くらいしか見えてないのに対して、ジャナルは多分240度くらい周りが見えてる.....!!!!「ねぇさん、そこに落ちてる。」「ほら、あれ拾ってきて!」と、指示がどんどん出る出る.....。うーん、ジャナルとアタシの草原の見方、全然違う!集めるのが、速いはずだよなぁ。
 
 
袋がいっぱいになると、ジャナルは「おりゃぁ!」20kgのテゼックを担ぎ上げてズンズン歩く。す、すげぇ。男前だ。一方のあたし、20kgを持ち上げた瞬間、袋に潰された......。
 
 
↑ジャナル。袋の淵までびっしりテゼックを拾う。
 
 
今はテゼック検定10級くらい超下っ端の私ですが、いつかはアゲリカやジャナルのように....テゼック検定五段くらいになりたいなぁと、風に吹かれながらぼぉっとくだらない事を考えつつ、結局この日は、6時間もぶっ通しでひらすら外でテゼック拾いしてました。3人で約220kg分拾いました。車が重そうだった。
 
 
↓最終的には、容量20kgの袋11袋分を集めた。死ぬほど疲れた。
↑乗用車に詰め込む。ちなみに、見えている座席は、運転席と助手席.....。
 
 
ぐへぇ。お腹空いた。帰りはヘトヘト、夜は爆睡しました。よだれが出るほど.....。
 
 
カザフ人女性たちって、この重労働に加えて、他の家事も見事にこなし、更にはアレだけの見事な刺繍やら装飾品やらを作り上げるんだから.....すごい。テゼック拾いを通じていろんなこと、考えさせられました。うん、また行ってこようっと。
金, 26 10月 2012 05:40

草原の四季をたのしむ

 

10月中頃から1週間ほどサグサイ村のマナさん宅を訪れていました。9月に行った頃よりぐっと寒くなっていて、冬の帽子かぶって、ダウンコート着て、セーター着て、股引はいて、分厚い靴下はいてと、上下ともしっかり暖かい格好しての滞在となりました。
 
 
そりゃ、寒いけど.....でも、秋の草原は空がきれいです。雲がぐーんと広がっている感じ。空の色もだんだん優しい色になっている気がします。
 
 
 
 
 
天気がいい日にぶらっと家の近くを散歩してみると、川が凍り始めているのが見られました。
 
 
 
 
上流の方から冷たい水や氷が流れてきて凍るんだとか。遂に凍る時期が来たかぁ。川も一年のうちに様々な変化をみせます。春には、氷がとけてちょろちょろと流れ始め、夏には、ザーザーと力強く水が流れます。秋になると、凍り始め、氷がごとりごとりと流れてくる音がきこえます。そして、冬には一面凍り真っ白く雪がつもり、無音が聴こえてくるでしょう。川の周りに生える草の色も、ゆっくり少しずつ変わっていきます。
 
 
↑春のようす
 
↑夏のようす
 
↑秋のようす。さて、冬は?
 
 
季節によって変わるものといえば、他には何が?このサグサイ村で見られる鳥の種類もまた、季節によって変わります。春夏には、トルガイと呼ばれる小さな鳥があちらこちらで飛回っているのがよく見られます。トルガイは、辞書で調べると一言「スズメ」と書いてありますが、小さい鳥の大半がトルガイと呼ばれていて、いろんな種類があるようです。とはいえ、ちゃんと図鑑とかで調べてないので、一部現地での呼び名で紹介となりますが....。
 
 
↑これは、ジャズトルガイと呼ばれている鳥。「ぴょろろろろ」って鳴く。
 
 
夏も本番になってくると、どこからか「ぽぽぽ」「ぽぽぽぽ」という声が聞こえてきます。バベシックと呼ばれる鳥です。夏だけやってくるとか。
 
↑鳴き声だけでなく、容姿も特徴的
 
 
他にも夏には鶴やツバメがよく見られました。夏から秋のはじめにかけては、白鳥の姿もみられます。
 
 
 
 
やがて、それらの鳥達の姿は見えなくなり、本格的な秋冬に入ります。今回、ぶらっと散歩したときは、カササギの姿がよく見られました。カカカカって鳴く。
 
 
 
 
そして、家畜の様子にもまた一年のうちに変化が.....。家畜のたちの大きさ、毛の状態、そして、鳴き声など、四季によって変わっていきます。例えば、春には、マーマーと、新しく生まれた小さな家畜たちが一生懸命鳴いている声が聴こえていたのに、夏、秋をすぎると、立派な家畜に成長して、声もすっかり太くなってメェーメェーとしっかりした鳴き声が聴こえてきます。(ちなみに、羊の鳴き声の方が低くて太い声で、ヤギは高い声でメェメェと鳴く)
 
 
↑マァマァ幼稚園状態だった仔家畜たちも.....
 
 
↑みんな大きくなった!
 
 
 
他にも草の色、咲く花の種類、風の音など色んなもので草原の四季をたのしむことができます。うーん、やっぱ見てて飽きないなぁ。サグサイ村の冬にはどんな様子が見られるのか。今から楽しみです。
月, 25 6月 2012 05:23

ケンデバイ家の生活

 

今回は、1件目のお宅ケンデバイさん家(ホストファザーのクグルシンさんの弟さんの家)で見たものを少しご紹介したいと思います。


ケンデバイさんのお宅にお邪魔したのは6月5日。ちょうど、夏営地(カザフ語でjairau)に移動する前の、ちょっとバタバタしてた頃のことでした。
 
 
前回もご紹介したとおり、ケンデバイ家があるアルタイ村の「ジャランガシ」というところは、近くに川あり、山あり、湖あり、野生動物も多く生息しているという自然豊かな場所です。
 
 
ケンデバイ家は、山の斜面をちょっと下った平らな場所に建てられています。3年前にここに冬の家を建てたとのことでした。
↓敷地の全体像
 
 
この辺には、狼も生息しているということで、家畜を放牧させるときは、ほぼつきっきりで様子を見に行きます。
 
 
家畜の放牧に行くのは、一家の大黒柱であるケンデバイさんのお仕事。ケンデバイさんは今年で51歳。足も腰も結構痛くなってきてて、毎晩放牧から戻るとぐったりしてるのですが、それでも毎日山へ放牧に出かけます。
↓こちらケンデバイさん
↓放牧に出かけるところ
 
 
私も何度か一緒に様子を見にいったのですが、足腰痛がってる51歳のケンデバイさんの方が山登るのはやくて、ちょっとショックでした。。。全然ぜぇーぜぇー言ってないし。
 
 
勿論、ずーっとつきっきりで動きっぱなしというわけではなく、時々石の上に座って休みつつ、家畜が十分草を食べられるように配慮しながらあちこちまわるわけです。
 
 
それにしても、夏は日差しが強くて暑いし、冬は凍るように寒いし。この土地の場合は、道は急斜面だしごつごつ岩石だらけだし。体に負担がかかるようなことばっかりです。「僕たち牧民の仕事っていうのは、家畜とは離れられないからねぇ。」と、ケンデバイさんはにこにこ笑いながら穏やかに話をしてくださいましたが、決して楽な仕事ではないのです。
 
 
さて、家に残っている女性たちはどんな仕事をしているのかというと?
 
 
まず、午前中は親家畜とわけて放牧に出す仔家畜たちの様子を見なくてはいけません。この仔家畜たちは、まだ遠くまで草を食べにいく体力がないので、家から近いところの草を食べにいきます。
↓仔家畜抱いてるところ
とってもかわいいんですよ!
 
 
そして、家事仕事。家の掃除は一日に何回もします。また、家だけでなく、小屋の掃除もします。小屋の中には、羊や山羊の糞や毛玉がごろごろしてて、一日でものすごく汚くなるのです。でも、この小屋掃除が結構大変。。。
↓掃除中
↓キレイキレイしたあと
 
 
腰を曲げて低い姿勢でがつがつ土を削らないといけないし、小屋が広いせいでなかなか終らないし、せっかく綺麗にしても奴らが帰ってきたらたった1時間後にはもう汚くなってるし。
 
 
それでも、ここのうちの子どもたち、(反抗期なので多少文句を言いながらも)毎日仕事きっちりやってます。ちなみに、この小屋掃除、他の家ではあまり行われてませんでした。「本来ちゃんと毎日やるべきなのよ。」とお母さん。このお母さんも働き者です。
 
 
他、川に水を汲みにいって、洗濯して料理して、燃料となる乾燥した牛の糞(カザフ語でテゼック)を拾いに行ったり。なんだかんだと一日中忙しいのです。
 
 
午後17:00頃になると、親家畜が放牧から帰ってくるので、また一仕事。そう、搾乳の時間です!母羊、母山羊を一頭ずつ捕まえて首にぐるぐる縄を巻きずらーーーーーーっと一列に並べます。こんな感じ。
 
 
いやぁ、暑苦しそうですねぇ。この子達から乳を頂くわけです。結構大変な作業なのです。(搾乳については、別途詳しく書きたいと思ってます。)
 
 
搾乳が終ったら、今度は仔家畜と親家畜とまぜて、もう一度放牧にだします。放牧から帰ってくる事にはすっかり夜になってます。こうして、今日も一日お疲れさま、っと夜ご飯を食べて、就寝します。疲れたぁ〜...おやすみなさい......zzz
土, 23 6月 2012 05:56

夏がやってくる!

 

 
5月末からつい先日まで、ばたばたと田舎に出かけたりしてました。
インターネットは勿論、電話も通じない地域に行っていたものですから、blogも久しぶりの更新になってしまいました。おひさしぶりです。
 
この間に、こちらはすっかり雨期に入ったようで、連日のようにしとしとと雨が降り続いています。草原の草も、すっかり綺麗な緑色になりました。
 
こちらはサグサイ村のようす。
ウルギー市から約30~40kmほど離れたところに村の中心があります。
 
こちらは先日まで行っていたアルタイ村のようす。
ウルギー市から約100kmほど離れたところに村の中心があります。
 
 
いやぁ、キレイですよ。
なんじゃこりゃ!って目がまんまるくなっちゃうくらい、きれいです。
写真ではなかなか表現しきれないのが残念です。
みなさん是非実際にみにきてください^^
 
 
さて、夏期になり、春の頃とは生活スタイルが変わってきました。
 
 
子ども達は長い長い夏休みがはじまりました。家を離れ学校に通っている子ども達は、実家に帰省し、家の仕事を手伝っています。立派な労働力!
↑羊/山羊の搾乳中の様子
↑燃料となる乾燥した牛の糞"テゼック"を拾っているところ
 
 
牧民さん達は、季節にあわせて営地を変えてます。
当然、夏は夏営地に移動するわけで、最近はどこも引っ越しで急がしそうです。
こんな大きい車に乗って引っ越しして...
↑荷物を積み込んでいる様子
 
移動式住居ウイを建てるわけですね。
 
 
そして、夏と言えば、忘れてはいけない。
そう、食卓に様々な「乳製品」が登場します!

 
この時期は牛、山羊、羊などの家畜から搾乳できる乳量が増えるわけで、
牧民さん達はそれを利用して毎日様々な乳製品をつくってます。
 
 
と、いうわけで、ここでも夏の生活の様子を少しずつ紹介していきたいと思います。
冒頭にも書きましたが、先日までバヤンウルギー県のアルタイ村というところで滞在してました。アルタイ村では、多くの人に出会い、多くのものを見て、新しい発見を得て学び、そしていろんなことを考えさせられました。私にとって、とても貴重な経験になりました。次回からちょっとずつ紹介していこうと思います。
水, 16 5月 2012 07:02

サグサイの春

 

バヤンウルギー県にきて割とすぐ、サグサイ村にいってきました。
サグサイは、中心市ウルギーから30km~40kmほど離れたところに位置する村です。
山道を車でごとごと移動して、だいたい1時間くらいのところです。
 
サグサイ村は秋になると、たくさんの観光客でにぎわいます。
観光客の目的は、「イヌワシ祭り」をみること。
鷹匠は、サグサイ村の観光名物です。
 
 
秋は沢山の外国人観光客によってにぎわいをみせるこの地ですが、
春はというと?
 
 
とっても静かでゆったりとした時間が流れていました。
 
 
***
 
今回私は、マナイさん一家のところにお邪魔しました。
去年の秋にも1週間ほどお世話になったところです。
 
マナイ家では、ご主人のマナイさん、奥さんのチョルパンさん、それに、娘1人、息子1人が同居してます。
 
マナイさん夫婦の間には、10人も子どもがいるのですが、成人した子達はすでに結婚して家を出ていて、小さな子ども達は村の学校(寮)で生活しています。
 
(マナイ家こどもたちと親戚の子ども。休日は学校から戻ってくる。)
 
マナイさん一家のすぐ隣には、共同で家畜を管理している親戚の若夫婦が住んでます。秋には4世帯で家畜を管理していましたが、春は2世帯。どうも、夏秋以外の季節は、一部の人(お年寄り)は田舎を離れて町生活を送るようです。
 
 
今回の滞在も1週間でしたが、その間、彼等には大変お世話になりました。
 
 
***
 
さて、春は、屠殺や搾乳など仕事が多い秋に比べると仕事も少なく、
マナイ家のみなさんもゆったりと過ごしていました。
 
 
春の一日をちょっとみてみますと....
 
 
日が昇り始める6時頃、
家畜に草や餌を与えて放牧に出し、牛の搾乳をします。
 
 
日中は、放牧に出した家畜の様子を見にいったり、
近くの川に生活に必要な水を汲みにいったり、
燃料(乾燥した牛の糞)を探しにいったり。
 
 
夕方、家に残ってた仔家畜を放牧に出し、
暗くなった頃に、全ての家畜を小屋に戻します。
 
 
仕事のない空いた時間には何をしているのかというと.....。
 
 
子ども達はボール遊びをしたり。
 
 
お母さんはゆったりお茶飲んだり、刺繍したり。
 
 
お父さんはごろんの寝転がったり、たまに歌をうたったり......。
 
 
 
"春"といっても、標高平均2000mのサグサイ村の春はまだまだ寒い。
ダウンジャケットなんて大げさかな、と思ったけど、
持っていって正解でした。
 
 
ときどき、息継ぎするのも目をあけるものやっとな位な強い風が吹きます。
しかも、冷たい....。家畜たちも、壁によりかかって、
「ちっ、寒いなぁ」って顔して(るようにみえ)ました。
 
 
こんな感じ。
 
 
そんなサグサイの春でした。
日, 03 1月 2016 11:50

ウルギーのトゥバ人

2015年8月30日、日がやや傾いてきた夕方に、我々はこの日の目的地ボロルさんのお家にたどり着きました。

 

ボロルさんのことは国境通行許可証を出してくれた旅行社に紹介してもらいました。もちろん、初対面。「はじめまして」です。事前の連絡もしないで突然お邪魔した我々でしたが、あっさり受け入れていただきました。どうやら観光客にはなれてる模様。

 
 

ボロルさんの家に一歩足を踏み入れると、そこには若い女性とお婆さんと子供たちがいました。どうやら、その若い女性がボロルさん。とても優しそうな笑顔の、可愛らしい人・・・。


ここで、本当だったらボロルさんの顔写真をすぐに出してご紹介したいところなのですが、この時点ではまだ彼女の写真を撮っていなかったので、また続きを書いていくうちに出したいなと思います。なんといいますか・・・・いくらフィールドワークだからといっても、全くの初めてのお宅で、勝手も知らない場所で、初対面の方にカメラを向けられなかったのです。最近、人の生活を撮るという行為に少し抵抗を感じていて、フィールドにいてもあまり写真を撮れなくなってしまいました。(こうやって文章を書いていると、撮っておけばよかったなぁと思うんですけど・・・。)

 
さて、話はボロル家でのことに戻りますが、
 家の中に案内されてソファに座って、すぐに思ったこと。
 

「あれ、話してる言葉がわからない。」

 

彼らはモンゴル語でもカザフ語でもなく、トゥバ語で会話していたのです。と、思ったら運転手さんとカザフ語で会話をはじめ、と思ったら我々にモンゴル語で話かけてきました。すげー、完璧に使い分けてる・・・。

 

「モンゴル語とカザフ語がわかるのね?じゃ、トゥバ語も勉強して頂戴。」とニコッと笑うお婆さん。ボロルさんの旦那さんのお母さんだそうです。

 

ボロルさんもモンゴル・カザフ・トゥバ語が理解できていました。ただ、ボロルさんの子供たちはあんまりモンゴル語が得意じゃなさそうでした。カザフ語は通じましたが。ツェンゲル郡はモンゴル・カザフ・トゥバが共存する地域。自然と言葉も覚えていくのだといいます。学校でもそれぞれの言語を教えるんだとか。教科書とかどうなってるのかなぁと気になることは山のよう・・・。どうやらフブスグル県に住んでいるトゥバ人たちとは全く様子が違うみたいです。

 

お茶とご飯を出してもらって、おもてなしをしていただきました。しばらく会話を交わし、私が気になったのはやっぱり家の中の装飾品。家の隅っこにぐるぐる巻いて置いてあるあれはきっとフェルトの敷物のはず・・・。

 

「来ていきなりで申し訳ないんですけど、あの敷物が見たいなぁ・・・。いいですか?」

 

「いいよ」とボロルさん。敷物を広げて見せてくれました。これは素晴らしい・・・。

 

ひと針ひと針丁寧に縫われた綺麗な敷物。モンゴル・トゥバの文様が全面に施されています。中央の吉祥文様は「永遠の幸せ」を、敷物の縁に施されているT字の文様はモンゴルでは「金槌文様」と呼ばれて大事なものを守るための文様として使用されます。フェルトの上にはびっしりと刺し子が施されていて、手でふれるとその大変な作業の様子が伝わってきます。

「あなたが作ったの?」ときくと、「私とお母さんと一緒に作ったの。お母さんはもう亡くなったけど。」とボロルさん。

大事に保管されている敷物と、いつも使われてボロボロの敷物。
どちらの敷物も、とても大事にされているのがよくわかります。
 

敷物だけではなく、家の中を見渡すと壁にも装飾が。

「これもお母さんが刺繍したの。大事な宝物です。」とボロルさん。

 

人間の姿が刺繍されてる・・・。

 
かぎ針で施しているのかな?針かな?チェーンステッチみたいな感じだけど・・・。

イスラームを信仰するカザフ人が作らないようなものを作っている、その様子からトゥバの人達の暮らしをみてるんだなぁと改めて感じました。

 

・・・と、、突然ボロルさんが外の人たちに呼ばれました。外ではゲルを一軒建てようとしていました。続く。


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